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【第8章】 近づき過ぎない優しさ——「中立」と「ハリネズミ」の距離感
◆ この章でお届けしたいこと: 近づくことだけが愛情ではありません。自分も相手も傷つけにくい「ちょうどよい心身の距離」について整理してみました。
1 共感か絶縁か、0か100か、ではない
親子関係では、「親を理解し共感しなければならない」「できないなら絶縁しかない」といった、極端な二択しかないわけではありません。
親と子の心身の距離は、グラデーションのようにさまざまな距離感があるように感じています。
顔をあわせて会う回数を減らす。
会ったり話したりしている時間を短くする。
スマホのメッセージのやりとり中心にする。(言った・言わないの問題を避けやすいですし、毒親に受診が必要な際に、医師に見てもらい診断を円滑にしやすいかもしれません。)
第三者のいる場所で会う。
特定の話題には答えない。
自分の心身の調子が悪い日は会わない。
夕食だけは一緒に食べるけど、それ以外の日中は別々。
などなど。
さまざまな心身の距離の取り方がある中で、親子関係は、必ずしも0か100かといった究極の関係ではありません。
私の場合は、人権上の観点からも共生社会を目指す指導をしている観点からも、やむを得ず、毒親との同居が続いています。
ただ、心身の距離の取り方は、その時々に、状況に応じて、柔軟にバランス調整し、試行錯誤しながら距離感を調整して、心身が壊れてしまわないよう、ギリギリの対応で過ごしています。
生命・心身に緊急の安全確保が必要な場合は、完全に物理的にも対話などの交流も隔離する必要があるでしょう。
そのような際は、まず、警察・救急・児童相談所のダイヤル「189」などに連絡して、その指示やアドバイスに沿ってご対応下さい。
2 ニュートラル(中立)という第三の立場
怒りか服従かの二択から抜けるために、私は「ニュートラル」(中立)という立場を大切にしています。
AでもBでもない、AとBの中間で淡々と、みたいな…。
相手を全面的に信じるでも、全面的に憎むでもなく、「この人にはこういう時にこんな問題行動をとりがちな傾向がある」などと観察したりしています。
そんな時は、そのまま引きずられないよう、サッと、話題を変えたり、別の部屋や家の外に出かけたり、心身の距離感を調整して、ダメージを食らわないようにしてみたりしています。
挑発されるようなことがあっても、変に必要以上に反応せず、「その話には明日お話ししますね」「今日はここまでにしときますね」などと、会話を終えたり話題を変えたり…。
これは冷酷さではなく、自分の心身を守る対策です。
毒親に怒りをぶちまけるでもなく、
かといって、毒親を許したり毒親に服従したりせず、
怒りもあり冷静さもあり、
ただ、心身のダメージを避ける・軽減するために、
淡々と心を一定に保って、ただ淡々と対応する、みたいな…。
「好き」の反対は、「嫌い」ではなく、「無関心」
3 「ハリネズミを愛でる」距離感
近づき過ぎると針で刺されるハリネズミを、ほどほどの距離を保って、安全に見守るような関係性の取り方もありそうです。
心理学か何かで、ハリネズミのジレンマというお話しがあったような記憶があります。
ハリネズミ2匹が、親しくなろうと近づくと、お互いに針で刺さって傷つけあってしまう…。
身を寄せあい、心を開いて近づきたかったとしても、近くにいるほど傷つき傷つけあったりして…。
心身を近づけることだけが、相手を思いやり親しみを深めるための、唯一絶対の方法ではないと思います。
相手が悪意ではなく善意のつもりで、針で刺してしまうような対応をとっているケースや、精神疾患や精神障がいの病状として、毒親本人が認知できない状態での対応かもしれません。
近づいてダメージを負うなら、少し、距離をとる、そして、その距離をキープし続けることこそが、相手を思いやり、ほどほどの距離でほどほどの信愛を示すことなのかもしれません。
自分がイヤで憎んで距離をとっているわけではなく、相手を悪者にしないために、相手への思いやりをもった距離をとる…。
良かれと思って助けようとしても、近づくほど自分が傷つく相手に、無理に密着して寄り添う必要はありません。
距離を取ることは「見捨てる」ことではなく、双方が傷つきにくい位置を探すことなのです。
4 相手を変えようとしすぎない
何度も何度も、どれだけ丁寧に説明しても理解されないとき、「私の説明が足りないからだ…」と、変に自分を責め続けると心身が消耗します。
毒親に、どれだけ丁寧な言葉でかみくだいて、どれだけ礼節を保って話しを尽くしても、そもそも、毒親としては、自分の感情的な感覚がすべてだったりします。
むしろ、そういった丁寧さや礼節などを、「お前は丁寧な言葉で礼節を尽くして、私を罵倒したのだ!」と、これは実際に私がそんな感じで言われたケースをご紹介してみました。
最初から、子が親と異なる意見をもったり、子が親に「虐待をやめて」であっても意見したりするのは、絶対的な悪である、といった、決めつけが先にあると、手の施しようがないかも…。
あなたの言動や努力で「相手を変える」のは、かなり難しいかもしれません。
また、その言動や努力で相手が変わってくれるようなら、そもそも、相手は毒親ではないのかもしれません。
あなたの言動や努力で「相手を変える」のではなく、毒親が身をもって問題を自覚したり、
「私のやったことで、ヤバイ状況を招いているかも」
とか、あなたがほどほどの距離をニュートラルに保ちながら、「相手が気づく」ようにしたりした方がいいかもしれません。
毒親がその気づきを得ても、あなたに謝罪や共感を示すとは限らず、毒親的には、ヤバイからしばらくおとなしくしよう、おとなしさを装っておこう、ぐらいかもしれませんが…。
それはどうあれ、相手が変わる意思を持つ機会がなければ、長年の行動パターンは、そうそう簡単には変わりません。
毒親的には、子に虐待したり負の影響を及ぼすほどに、毒親自身が窮地に立たされたり、毒親自身が損をするような、わかりやすい状況だと、多少は変わりやすいかもしれません。
「相手を変える」とか「わかってもらう」といったことより、「相手が気づく」「相手が変わらないと相手自身が損になる」など、相手の変化を誘う対応に終始してみるのもいいかも…。
相手が変わるかどうかは、あなたのコントロールしきれるものでもなければ、あなたが負う責任でもありません。
毒親が本当に心を入れ替えたのなら、それがはっきりと証明されてから、別居を解消しても遅くはありません。
あわてず、長い目線で、人権の尊重と礼節をもって…。
◆ 距離は愛情の反対ではありません。近づき過ぎることで双方が傷つくなら、適切な距離こそ、お互いにとっての幸せに向けた思いやりになることがありそうです。
5 期待値を調整すると、心の消耗が減る
「今度こそ、わかってくれるかもしれない」
そんな風に期待すること自体は、親に心を寄せたい子としては自然なことでしょう。
ただ、その期待が毎回大きく裏切られ、自分の心身を削っているなら、期待値を調整しておく方が良いのかもしれません。
これは期待や希望を捨て去るということではなく、相手に、どこまで期待していいか・良くなさそうかを、現実的に見つめ直すということです。
今度こそ、わかってくれるかもしれない、といって、仮に、案の定、全然わかってくれなくても、これまでと少し違って、毒のある言葉が少し減った、ということも、ちょっとした関係性の再構築や回復の一歩です。
相手ができる範囲の関わりだけに集中し、足りないところは、毒親に期待しなくても、心ある友人・配偶者・専門家や、地域社会・コミュニティなど別の場所の別の人から得てもいいでしょう。
人は、支え・支えられながら、生きています。
◆ 今日の一歩:親との「会う頻度・滞在時間・話題・連絡手段・共有する情報」など、自分が消耗しにくいようにするには、どうしたら良さそうか考えてみましょう。



