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【第7章】 怒りや復讐から脱出する——「毒親再生産ループ」を断つ
◆ この章でお届けしたいこと: 怒りを否定したり無理やり抑え込まず、あるがままに自覚・認識しながらも、怒りに人生の主導権を渡さないで済むように…。負の連鎖をここで止めるために、見つめ直しておきたいことをまとめておきます。
1 怒りは自然な感情、しかし、怒りにあなたの人生の主導権を渡さないで済むように…
傷つけられたら、悲しくなったり、怒りの感情が湧き出てきたりするのは、ごく自然なことでしょう。
「自分の親なのだから、すべて許さなければ」とか、「親に怒りの感情を抱くのは、子としていけないことだ」などと、無理に自分の自然な感情を押し込める必要はありません。
しかし、怒りを感じることと、怒りのまま行動して相手にも自分にも害を及ぼすこととは、分けて整理しておく必要があります。
できれば、怒りという自然と心身の内側から湧き出る「力」は、復讐ではなく、安全な環境を築く推進力に転換したい…。
怒りによる復讐は、瞬発力が抜群な「力」をくれることがありますが、場合によっては、あなた自身が、忌み嫌っていたはずの「毒親そのもの」になり果てる第一歩かもしれません。
怒りの「力」を人生の燃料にするなら、「同じ目に遭わせてやる」という復讐ではなく、「そんな目に遭わずに済む家庭を築く力と意志」に転換できれば、力強く粘り強く歩む推進力になるかもしれません。
毒親のもたらした副作用のような怒りや復讐心にとらわれている状況だと、毒親が子を毒親に向かわせ、その子が今度は新たな毒親となって、また、次の世代の子を毒親に向かわせる…。
そんな負の連鎖が、怒りや復讐心にとらわれてしまって、延々と繰り返されるのかもしれません。
怒りをコントロールするお手軽なテクニック集は、世の中にこぞってあふれていますが、その根本は、他者や異文化などの理解と共生にあります。
怒りや復讐心を抑え込むだけでは、活火山の火口に大きな岩を詰めて、マグマをムリやり抑え込むような、その場しのぎだったり、後にもっと大きなダメージを及ぼすような、問題のその場しのぎの先送りに過ぎない状況になったりするのかもしれません。
他者や異文化の理解とともに、では、ネガティブな要素をどうポジティブに転換していけるか、というところがキモでしょう。
また、完全にポジティブに転換するのが難しい場合は、毒親災害の「減災」のような感じで、避けられない場合はダメージを軽減していけるようにしてみる、という感じでの対応が必要になるケースもあるかもしれません。
私自身は、「毒親」や「毒親の言動」といったネガティブな要素を、「反面教師」として「良き家庭を築く上での学びや力の発揮の方向性」に転換できればと思っています。
毒親はいろんな問題やダメージを豊富に与えてくる分、反面教師としては、その逆をしていれば聖人にでもなれそうなくらい、「良き家庭を築くための学びの宝庫」かもしれないと思ったりします。
私の記憶が確かなら、『君主論』を書いたマキャベリが、良き君主を育成するには、暴君のもとで学ばせよ、といった記載があったかと思います。
これも、「良き君主たるもの、かくあるべし」というお話しより、「こんな暴君のようになりたくない、私はこんな君主になりたい」と、身をもって感じて反面教師として学ぶことの有用性を説いていたりもしたように思います。
怒りと復讐心を、毒親を反面教師にした良き家庭への強力な推進力にして、抑え込むのではなくプラスに活かしていく…。
怒りと復讐心の「リユース」ではなく「リサイクル」をする。
毒親のもとで育った子は、反面教師として学びを得られれば、良き親への近道を、身をもって皮膚感覚で良く理解している存在かもしれません。
必ずしも、「良い家庭・良い親」を目指さなくては、と、自分を追い込む必要はありません。
もしできるなら、でかまいませんし、良い家庭・良い親であるかどうかより、子に虐待や負の影響を与えなければ、それだけで十分かもしれません。
ムリない範囲で、少しでもマシで、いいなぁと思える方向に向かえれば、それだけでも素晴らしいことだと思います。
2 被害者が加害者に変身する「3つの心のワナ」
毒親問題への対応で、最も避けたいことの一つは、被害を受けた人が、時を経て、形を変えて、次の世代の子を同じような目に遭わせたり、忌み嫌っていたはずの毒親と同じようなことをしてしまったりすることです。
その入口には、いくつかの心のワナがあります。
1. 「私も同じ目に遭った。だからあなたも我慢すべきだ」という、復讐心にとらわれて再現してしまうワナ
2. 「私だけ不公平なのはおかしい。誰かも同じ不公平に遭わせたい」という、不公平感にとらわれてしまうワナ。
3. 「私は被害者なのだから、今度は、何をしても許される」という、被害者ポジションでの免罪符と正当化のワナ。
どれも、苦しかった人ほど陥りやすいものかもしれません。
親となったかつての子が、心の傷を癒したり、怒りや復讐心にとらわれた状態から脱せなかったりすることを、次の世代の子を生贄や奴隷にして満たそうとしないことが大切でしょう。
心療内科や精神科といった医療機関の受診・カウンセリングなどを通じて、親が自ら向き合って癒すべき問題で、次の世代の子に、親の心の傷を癒す責任はありません。
だからといって、自分で自分をダメだと責めるのではなく、少しでも早く気づいて、別の方向に歩みを進められるようにしてみればいいだけかもしれません。
「私もつらかったから、同じ目に遭わせてやる・同じ目に遭わせて当然だ」
ではなく、
「私もつらかったから、同じ目に遭わなくて済むようにしていければいいなぁ…」
といった感じで十分かもしれません。
過去の痛みを共感や寄り添いや家庭内の心理的安全性への推進力に変えられたら、かつての被害者であるあなたが、毒親として加害者に「変身」するのを避けやすくなると思います。
3 「許すこと」をゴールにしなくていい
毒親を許せない自分を、自分で責める必要はありません。
毒親を許せないという自分の心は、あるがままに感じながら、自分が毒親にならないための意志や歩む力の強さに転換していければいいと思います。
あなたが毒親に許しを与えるのは、絶対的な義務ではありませんし、毒親が「親を許せないお前が悪い」といわれる筋合いもありません。
ムリなく許せるならそれも良し、許せなくてもプラスに転換していければそれも良し…。
「許せたかどうか」より、毒親の言動に、自分の心身が支配される時間や回数やダメージ具合が減ったかどうかかもしれません。
あなたの人生の主役はあなた自身です。
人生の主役の座から、心の中で毒親を降板させて、自分の大切な人、自分の希望、自分の生活などを、自分の人生の中心に戻していくことが、あなたの心身や人生の回復に意義あることと思います。
どうせなら、ネガティブなことも、ポジティブに転換できれば、ムダなく全て活かせる材料や学びになるかも…。
私自身は、毒親への対応で、毅然とした対応をとったり、
「私が毒親で悪うございました!じゃあ、出て行けというのですね」
みたいなことを言い返してきた際に、
「いやいや、出て行けとか出て行かないで、とかじゃなくて、私の主治医に相談した際も、とんでもない親とは別々に生きるようにするが良い、といったアドバイスを受けたので、それに従うのも、心療内科の医療上での正解ってだけだよね」
と返答してみると、途端に、毒親が子の良心に訴えかけて有利に物事を進めるためのブラフ(はったり)の化けの皮がはがれ、本当に親として捨てられることのないよう、妻と急に仲良くしようとし始めたりしました。
私としては、家庭内がほどほどに仲良くしていければ良いので、毒親の反応を、家庭内の嫁姑問題の解消に活かされるよう、そのまま、あるがままに見守っていたりしました。
ちょうど、妻も、がんとメンタル不調の闘病もあり、家庭内で嫁姑問題を超えていかないとマズイなぁと、思っていた感じでもあり、毒親の保身による妻へのすり寄りも、うまく活かしていく感じです。
プラスに活かせることは、ムダなく、すべてプラスに…。
ミニワーク⑥ 怒りの力をプラスへの推進力に!
・何が自分の怒りを呼び起こしていそうか、1つなり2つなり書き出してみる(悲しみ、怖さ、悔しさ、寂しさなど…)。
・「同じ目に遭わせたい」という気持ちが出たとき、同じ目に遭わせて、誰がどう幸せになるのか、何が満たされるのか、そうして何を実現したいのか、思いつけばいくつか書き出してみる。
・自分が強い立場に立ったとき、弱い立場の人に対して、どんな接し方をしたいか、どんな関係を築きたいか、書き出してみる。
・怒りや復讐心が湧き出てきたら、自分がどうすれば良さそうか、思いつくままに書き出してみる。
4 「不公平の再現」から「公平への歩み」へ
自分だけがつらい思いをしたと感じた際に、
「相手にも同じ苦しさを味わわせなければ公平ではない」
という気持ちが生まれることは、誰にでもあり得ることかと思われます。
「不公平や不条理に、スカッとする復讐やってみた!」
とか、
「勧善懲悪で、悪を成敗してやる!」
など、SNS動画で再生数が多そうなテーマかもしれません。
昔ながらの時代劇でも、そういったお話しは多いですよね。
こういった復讐(リベンジ)は、胸のすくような思いというか、溜飲を下げる効果がありそうでもありますし、動画や番組の視聴で心がすっきりすることもあるでしょう。
ただ、再生数や視聴率の高低と、現実の自分の人生がプラスになるかどうかは、また別のお話しです。
スカッとする動画が再生数も多く劇的な感じがしても、その通りにして、あなたの人生が必ず幸せになるかどうかは、動画のクリエイターが責任をもって保証してくれることではありません。
不公平や不条理を再現して同じ目に遭わせることは、毒親への近道かもしれません。
世の中や、これまでの家庭環境が、不公平で不条理だったからこそ、次の世代の子には、少しでも親子関係・家族関係が公平で、家庭で安心して過ごせるようになれば良さそうです。
同じ苦しみを再現して子に与えても、公平な社会や家庭になるどころか、苦しみが親子二世代で2倍に増えて、さらに、子が次の毒親になるよう仕向けてしまっているのかもしれません。
「自分は支えてもらえなかった。だから相手も支えない。」
という気持ちもよくわかります。
ムリに支える必要まではないでしょう。
ただ、ムリに支えなくとも、害を及ぼす必要はありません。
ムリのない範囲で、
「自分は支えてもらえなかった。だけど、少なくとも、自分は同じことを繰り返さないために、支えてみようと思う。」
とか、
「不公平な状況で育った。だけど、自分が親になる時は、家庭の中で、かつて自分が嫌だった思いをしないで済むように、公平な家庭を目指して行けたらいいなぁ~。」
といった感じで、不公平の再現から公平への歩みへと、少しずつでも転換して行ければ良さそうです。
少しずつでもそんな転換ができ始めたら、「過去の不公平」は、未来の「人権侵害の口実」ではなく、虐待や負の連鎖を断ち切るための、「家庭内での公平公正な受け入れあい」への一歩となりそうです。
心身の安全な距離をとって、時を経て、ふと、毒親のことを見つめ直した時に、許せていなかったとしても、まぁ、あんなこともあったし、こんなこともあったなぁ~、と、怒りや復讐心に震えなくても中立な心の状態で、思い返すことができるようになるかもしれません。
積極的な許しを毒親に与えなくても、心の中で、毒親をある程度は受け止めていける状態になる…、それくらいで十分でしょう。
5 「テロ型の正義」は毒親への落とし穴
「殺人犯にも人権はある」
これは、毒親への怒りや復讐心を暴走させて、被害者である子が加害者にならないために、私自身、自分で自分に言い聞かせている一言です。
殺人犯とは極端な言い方ですが、刑務所に収容された犯人も、一定の制限(手錠をかけられて行動が自由にならない制限など)はあっても、裁判を受ける権利や弁護人を付ける権利など、一定の人権は当然にあります。
毒親は殺人犯ではなかったとしても、毒親にも、当然に、一定の人権はあります。
ただ、ここで、「一定の人権」というのは、毒親が子に虐待したり負の影響を及ぼしたりする際に、親の人権が安全確保や公益性や法令遵守などの観点から、一定の制限や制裁が加えられ得るため、あくまでも、「一定の人権」と記しております。
毒親の言動が明らかに不当であったとしても、それを正すためなら、違法行為や不適切行為など、何をしても良いわけではありません。
テロのように、正義を実現するためならなんでもアリ
と、歪んだ正義をまかり通らせて良いものではありません。
「正義」については、私が息子によくお話しすることですが、
「誰にとって、どう都合の良い、どんなことを、正義と呼んでいるか」
を、しっかり見極めておくことが大切だと思うよ~、というお話しをしています。
親にとって都合の良いことが、家庭内の正義とは限りません。
怒りが「自分は正義を実現しようとしているのだから…」といって暴走し始めると、今度は、自分が相手の人権・尊厳・安全などを踏みにじる「加害者」側へ回る状態になりかねません。
「正義」を実現するという場合にも必要なのは、人権・法令・手続きや、客観的に見ての公平公正さ・お互いの適切な心身の安全な距離などを踏まえて、人を責めず問題を解決する姿勢ではないかと思います。
◆ 今日の一歩:怒りが強く湧いたときにすぐ行動せず、「この怒りの発揮の仕方で、何が実現されるのか」「結局、怒りをぶちまけて、自分は何をしたいのか」「怒りを発揮した結果、どんな影響が生じるのか」といったことを、一度、言葉にまとめてみて、見つめなおせれば良さそうです。「怒る」必要はなく、「これはダメ」でもなく、「こうしていけば、もっと良くなるよ」という、導き型の指導で、相手の個性や多様性などを尊重しながら良き方向に寄り添って導く「叱る」ことが大切…。



