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【第4章】 家庭内の権力と人権——親も子も奴隷ではない


◆この章でお届けしたいこと: 家庭にも「権力」があります。その力を支配ではなく保護と成長のために活かすためにも、親子双方の人権や対応を整理します。

1 親子には役割の違いがあっても、同じ人権ある対等な人間同士

 親には養育の責務があり、幼い子より多くの決定を担います。
 しかし、それは、親が「人間として子より上位」であることを意味しません。
 年齢や役割の違いと、人間としての尊厳は、分けてとらえておく必要があります。
 親が子の安全を守るために制限することはありますが、それは、あくまでも、親にとって都合が良いかどうかではなく、子にとっての最善を目指してのことです。
 つい、親として「これが子にとっての最善だ」と思い込んだり決めつけたりしていることが、子にとっての最善ではなく、単なる親の身勝手や親の都合の良いように正当化しているだけ、というケースも少なからず見受けられます。
 パワハラや少年野球のスポーツ指導などでも、「部下にとってこれが最善だ」「少年・少女の選手にとってこれが最善だ」という、上司や指導者がいたりします。
 そこに、人権・多様性・個性の尊重と公平公正な受け入れあいを学ぶ場は、どれだけ日常的に整っているでしょうか。
 また、上司や指導者の好き勝手に「良い人」イメージを持てる「自己評価」だけではなく、部下・選手たちをはじめとする関係者を含めた他者評価は、権利の侵害なく機能しているでしょうか。
 さらには、上司・指導者が人権侵害・違法行為・不適切行為を行った際、部下や選手たちの人権侵害などを救済するために、その上司・指導者に処罰や制裁が加えられる仕組みはあるでしょうか。
 往々にして、上司や指導者が、半ば、実質的な「独裁者」になっているケースも散見されます。
 家庭で、親が独裁者となれば毒親や児童虐待事件になりやすいでしょうし、配偶者が独裁者となれば、DV・暴力事件になりやすいでしょう。
 職場であれば、監査部門などによる上司に対する監査や、部下による内部通報という救済の道もあるかもしれません。
 少年野球チームであれば、チームの所属する連盟などによるけん制機能や、「NOスポハラ」( https://www.japan-sports.or.jp/spohara/ )などの、団体を超えた対応もあります。
 ただ、それらですら、監査人や経営者や、連盟幹部や相談窓口などが、問題の軽視や見て見ぬフリ(不作為による作為・積極的な黙認など)があれば、独裁者がまかり通りがち…。
 家庭では、そういったことですら、人権救済の仕組みすらなく、親が「これが正しい」ということに、何も監査やチェックや是正機能が備わっていない可能性が少なからずあり得ます。
 パワハラ常習者にありがちですが、外面良く上長に気に入られる振る舞いをしつつ、部下には異なる激しい表情・言動を見せて、パワハラを隠蔽することも監査で少なからず見かけます。
 家庭では、地域社会の目があるといっても、同様に、外面良く地域の方々に好感度を高めつつ、家庭内では、独裁的な毒親、というケースでは、子になかなか救いの手が届きにくい…。
 親の好みや体面やコロコロ変わる感情のために、子の人格や子の人生を親が所有する権利が生まれるわけではありません。



2 家庭内の「優越的地位」を濫用しない

 家庭では、親が、住まい、食事、お金、情報、外出、教育など多くの資源を握ることが多いかと思われます。
 場合によっては、子が親の「養育」を迫られるケースもありますが、その際、親が子を縛り付けるような形で「養育」させるケースなどは、ヤングケアラー問題のひとつかもしれません。
 幼い子にとって、親は社会そのものに近い存在です。
 その力を「家族と家族のお互いの人権・個性・多様性・可能性を守るため」に使うのか、「親の都合の良いように子を従わせるため」に使うのかで、家庭の性質は大きく変わります。
 「言うことを聞かなければ生活を支えない」
 「親に反論するなら愛情を引き揚げる」
 といった「力」の使い方をすれば、衣服や食事や住居などの資源は、「子育て」というより、「親が子を支配するための道具」になりそうです。
 経済力がある親であればあるほど、子の頬を札束でたたくような際に、その札束の枚数が多く分厚く、よりズシンとダメージを負わせるに都合の良い状態にもなりかねません。
 反対に、親みずからが、
 「判断も間違うかもしれないから、違ったら教えてね」
 「困る・悩む時は、家庭外の相談窓口に相談してもいいよ」
 「親も子も、お互いに奴隷じゃなくて、同じ人間同士だよ」
 「自分にとっての価値は、自分で決めていいんだよ」
 といったことを親が子に伝えることは、家庭の独裁的な権力構造に、親みずから「自戒」というチェック機能を持ち込むような感じかもしれません。
 親が家庭内の問題をエスカレートするのを自らセーブしていければ、虐待事件などで逮捕されない方向へ向かいやすく、親子ともに、お互いに幸せに過ごせることにつながりそうです。



3 幸せは「与える」のではなく「共に築く」

 親は子を幸せにしたいと願うケースが多いかと思われます。
 子にあれこれ押しつけたり決めつけたりする毒親ですら、「これがあなたの幸せのために必要なのだ」と、幸せの解釈が歪んでいたとしても、幸せを目指そうとするケースが多いでしょう。
 しかし、親が定義した幸せを「与え」て、「これをありがたいと思いなさい」「これを幸せだと思いなさい」と、感情まで指定するのは、もはや、洗脳・刷り込み・思想統制でしょう。
 親子関係だけでなくとも、夫婦関係や親戚関係でも、幸せは与えられるものではありません。
 例えば、夫が気に入ったというダサすぎるTシャツを、奥さんに「これ、いいTシャツだからあげるよ。どう、与えられたから、当然、幸せだろ?」といわれても、ダサいものはダサい…。
 夫に気を遣って、ありがとうと言っても、やはり、ダサい…。
 幸せは与えられるものではありませんし、与えられたら幸せに思い込まなければならないわけではありません(多少、相手なりの厚意・善意に配慮の一言くらいは必要でしょうが…)。
 与える/与えられるという関係での「幸せ」は、「支配の道具」や「口実」になりかねません。
 親にとって都合の良い計画や進捗で進む「幸せ」が、親と同じ家庭にいても、異なる価値観・性格・個性・多様性・可能性のある子の「幸せ」と、まったく同じになるとは限りません。
 家庭で大切なのは、家族それぞれが、何を大事にしたいかを、支配や干渉などにおびえることなく理解しあえることです。
 まず「知る」「理解しようとする」ことが、寄り添うことのスタートです。
 お互いを尊重して、折り合いをつけながら、共に暮らしやすさを築いていくと良さそうです。
すべてがすべて、相手の言うこと・希望することをかなえられないとしても、お互いに、ほどほどの距離感で、ほどほどの譲り合いができれば良さそうです。
 大それたことでなく、そういった、相手を尊重した、ちょっとした距離感の調整や、ちょっとした譲り合いなどから、「幸せを一緒に築きあう」関係にしていけるといいと思います。

◆ 子は親の奴隷ではなく、親も子の奴隷ではありません。愛情は、お互いの人権を侵すものではなく、お互いに守りあう力となれば、より良いことと思われます。



4 「世の中は不公平」を、支配の言い訳にしない

 世の中には、良い意味でも悪い意味でも不公平があります。
 生まれ育つ環境の違い、得意/不得意の違い、出会う人の良し悪し、健康状態の違い、経済状況の違いなど…。
 すべてを同じにすることはできません。
 あなたがある才能やチャンスに恵まれたとしたら、他の誰かから見れば、それも「不公平だ」と思われる可能性はあります。
 逆に、あなたが不遇にあえいでいる時に、幸運に恵まれてキラキラして見える人を見かけたら、それもまた、「不公平だ」と思う面があるかもしれません。
 多かれ少なかれ、世の中は不公平な方が多いのではないかと思えるほど、「ごく自然に不公平」な状態だったりしそうです。
 しかし、「世の中は不公平なのだから黙って我慢しなさい」とか、「世の中は不公平で厳しいってことを教えてやってるだけだ!これくらい我慢しろ!」などと言って、親から子に虐待や負の影響を与えても良いという理由にはなりません。
 世の中の不公平や不条理や厳しさを親が子に教えるなら、その「教育」の仕方に、人権侵害や違法行為や不適切行為があっていいわけではありません。
 親が子にも同じ苦しみを無理やり与えたり、親が子を復讐心や不公平感のはけ口として、子を生贄や奴隷のように扱って、苦しめたりすることは、そもそも、なくて良い不公平・不条理です。
 親が復讐心や過去の嫌な思いを子にぶつけて不平不満を解消しているなら、それは、子の負う役割ではありません。
 それは、親が心療内科や精神科を受診したり、カウンセリングや心理療法を受けたりするなど、みずからメンタルケアすべき親自身の問題です。
 世の中に不公平や不条理などがあるからこそ必要なのは、親が子に自分と同じ苦しみを味あわせることではありません。
 親が子の個性・多様性・価値観・可能性を、家庭外の世の中では不公平でも、家庭内でこそ公正公平に尊重して受け入れあうということだと思います。
 世の中は広く利権にもまみれてしまうこともあり、家庭外ではなかなか実現しにくいとしても、親子での対応次第で実現しやすい、公正公平な尊重と受け入れあいの家庭環境づくりなのだと思っています。
 親が、「自分が苦労したから子にも苦労させる」とか、「親の苦労を同じように味わうのが成功への近道だ」など、親の勝手な体験は、あたかも親だけが悟りを開いた世の中の真理などではありません。
 親が苦労した通りに子に苦労させても、異なる社会状況・時代背景・得意/不得意などから、子が必ず成功するとは限りません。
 また、そもそも、親が言う「成功」とは、誰にとって都合が良いどんな状況を指すのか、非常にあいまいだったりします。
 仮に、親が富裕層になることが人生の成功と考えたとしても、子にとって人生の成功がお金をより多く得ることより社会で困っている方々をどれだけ救えるかが、成功かどうかの基準かもしれません。
 それに、毒親が「これが成功への近道だ」ということに、毒親の思う通りに子が歩めば、その子は、また、毒親になり果ててしまうのではないでしょうか?(それが「成功」なの…?)
 また、そもそも、苦労しなくていい苦労は、わざわざしなくても良いように思います。
 苦労しなくていい苦労で力を使い果たさず、スタートラインを親より高いところから始めれば、親より子がより高みを目指していけるのではないでしょうか。
 子が自ら歩みを進める中で、人生において必然的に苦労に直面するような際に、子がこれまでセーブできた力を、ここで全力を投じて乗り越えやすくなるわけですよね。
 親は子よりも優れていなければならないというわけではなく、優劣や勝ち負けでもありません。
子が余計な苦労をしなくても、本当に大切な勝負所で力を尽くせるようにして、親が自分の勝手な成功体験を押し付けないだけでも十分かもしれません。
 あなたはどんな家庭を目指していかれますか?
 代々、親が子に、復讐心や不公平感を、次の世代を奴隷や生贄のように受け継ぎ、自分の子が毒親になりかわっていく負の連鎖を積極的に招きたいですか?
 それとも、負の連鎖を断ち切って、家庭を心の安全基地として、心穏やかな心の居場所づくりをしたいですか?

◆ 今日の一歩:家族の誰かに一度、「あなたはどうしたい?」と聞いてみてください。すぐに正解を与えず、「そんなこと、何の価値もない」などと頭ごなしに否定せず、まず、最後まで耳を傾けることから始めましょう。





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