『がんと心のリゾート: がん患者のメンタルケアと闘病を支援する家族の視点』
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第4章 退院。そして「おうち入院」が始まった
1 自宅という療養スペース、夫という「院長」
おうち入院カルテをもとに――「そろそろ、おうち入院したいです」
妻が退院したい気持ちを持ち始めた時、私は「そろそろ退院して、『おうち入院』したいです。自宅で夫の付き添いサポートをしてもらって、自宅療養します」と主治医に相談してみたら、と妻にお話ししてみました。妻がそのように伝え、退院後の生活が始まりました。
私は「おうち入院」に合わせて、おうち入院の「院長」として、医療従事者ではないですが、病院よりも妻と長くじっくり細やかに寄り添えるよう努めています。
院長という言葉には、家庭の中で、私が責任をもって生活を回し、必要な時は医療につなぎ、介入や制限しすぎず、妻が安心して休んだり活動したりできる「心の安全基地」をつくる、という自分への覚悟を込めています。
がん手術からの退院は、ゴールではなく生活の中で心身を整えていくスタートでした。
私は、「おうち入院の院長」として、本物の病院の院長ではないですが、妻の治療方針を決めて頂いた主治医の先生や看護スタッフのみなさんに代わって、おうちで安全に安心して過ごせる環境づくりに努めることにしました。
薬を飲み忘れないようにする。
お薬を妻が自己判断で中断しないように見守る。
妻の家事の負担を全面的に減らす。
息子の育児全般を引き受ける。
妻が寝たいときには気兼ねせず眠れるようにする。
妻がお話ししたいときには、妻を最優先にして聞く。
外来受診の送迎や同席などの対応をする。
今日できなかったことを責めないようなだめる。
逆に、明日に先送りしてでも心を優先できたことを褒める
などなど。
シンプルですが、積み重ねが大切だと思います。
2 スマホ一つの「おうち入院カルテ」
おうち入院カルテをもとに――家族へのSMSがカルテに
コロナ禍で面会もままならない状況。宮崎県にいる妻のご両親にも状況を知ってもらいたいなぁ…。私は、息子を寝かしつけた後や、仕事と家事の合間などに、スマートフォンで妻の様子を書き残すことにしました。睡眠、食事、表情、外出、薬、家事、会話、検査、家族の出来事、できたこと、できなかったこと、など。細かな記録は、いつの間にか、膨大な長編の「おうち入院カルテ」になっていきました。
記録することで、良い日も悪い日も、一喜一憂することなく長期的な視点で見つめたり、サポートする側の私の心も整理されたりするように感じました。
今日だけを見れば落ち込む日でも、一か月前と比べればできることが増えていたり…。
記録は、妻を評価したり責めたりするためではなく、妻も家族が焦りすぎずにゆったりと安心して確かな歩みを進めるための道しるべになりました。
もともとは、宮崎県にいる妻のご両親に、妻の状況を詳しくお伝えするために記録しはじめました。
電話で、お義母さん(看護師さんです)にお話ししても、動揺や不安などで、お義父さんにうまく伝えられていなかったようで、スマホメッセージでお義母さんと義弟・義妹にも一斉送信でご報告して、そのままお義父さんにも見せて頂ければ、不安や動揺の中でもちゃんと伝わるかなぁと思って始めました。
今日はどれくらい眠れたか。
食事はちゃんととれたか。
外出したり何か活動したりしたか。
不安が強かったか。
笑顔があったか。
薬はちゃんと飲めたか。
家族でどんなことをして過ごしたか。
などなど。
それらを細かく残していくと、目の前の一日だけでは見えないものが見えてきました。
調子が落ちると、「全部振り出しに戻った」と感じかねません。
しかし、「おうち入院カルテ」の記録を振り返ると、以前より活動できたり、以前より笑顔が増えたり、いろんなことがプラスに積み重なっていく様子を見て取れます。
落ち込んでも持ち直すまでの時間が短くなっていたり…。
自分で休む判断ができるようになっていたり…。
一日単位でバラバラだと見えない回復の歩みが、時間の線でとらえると、アップダウンはありながらも、しっかりとした歩みが見えることがありました。
3 おうち入院での「8つの薬」
戸村流「8つの薬」って?
私が言う「ことばぐすり」「信頼ぐすり」「あるがまま居場所ぐすり」などは、当然ながら、医薬品などのお薬ではない。家庭の中で、心を刺激する要素を減らしたり、安心を増やしたりするための要素を増やすための環境づくりの取組みだ。実際の治療そのものについては、当然に、主治医の指示に従って服薬したり休息をとったりする。妻が精神科関連のお薬に抵抗感を抱いた際は、私は「心のアシスタントさん」と呼んで、アシスタントさんに手伝ってもらおうよ、などと、やんわりと服薬を促すようにしたりしてみた。医療と家庭での支えを対立させたりせず、両方を妻の味方にして支えることが大切だと思った。
「薬は弱さの証明」ではない。調子が悪い時に手伝ってくれるアシスタントがいる、と考えればいい。そう言葉を変えるだけで、妻の中の「精神科関連の薬に頼ってはいけないのでは?」という、固定観念や気の重さが、少し軽くなることもあった。
おうち入院を続ける中で、私は家族として心がけたいことを、みずからの当事者経験も踏まえて、「8つの薬」としてまとめて、妻と接する際に念頭に置くようにしました。
① 「ことばぐすり」
前向きな言葉を安易に投げかけたり、変に励ましたりするのではなく、まずは、妻の気持ちを尊重した共感を最優先にして、「つらいよね」「そう感じるんだね」と、妻の考えや認知の歪みなどを否定も肯定もせず、妻の感じるままに、共に受け止め、ソフトに良き方向に促せるよう、心と心をつなぐ言葉を慎重に丁寧に選んで対話するようにしています。
② 「味方としての傾聴ぐすり」と「伴走膏」
頭ごなしに否定せず、同じ方向に歩く。同じ姿勢で同じ目線を合わせて、先導するのではなく、横に並ぶイメージです。
妻がグッタリしてフローリングの床にぐで~んと寝そべりながら「お話しカウンセリング」した際には、私も、妻と同じように、床にぐで~んと寝そべり、同じ姿勢・同じ目線で対話したりしておりました。
③ 「信頼ぐすり」
家庭が妻の「心の安全基地」であり続けるためには、口先だけの言葉だけではなく、行動を伴って約束を守り、妻が困った時や苦しい時に、私の仕事などもすべて横に置いて、妻を最優先にして、長時間であれ短時間であれ、妻との対話に時間も手間もしっかりあてることを大切にしてみました。
④ 「あるがまま居場所ぐすり」
横になっていてもいい。弱音を吐いてもいい。今日は何もできなくてもいい。何かできたらできたでいい。それでも家族の大切な一員で、何か成果をあげた見返りに家族として存在できるわけではない、といったことが伝わるように接したり対話しながら、あるがままにいていいんだと実感してもらえる居場所をつくることを大切にしてみました。条件付きの愛情ではなく、ただ、一緒に共に生きていってくれるだけで幸せだと…。
⑤ 「役割ぐすりと感謝ぐすり」
全部を取り上げて「病人だから何もしなくていい」とすることは、本人にとって非常につらかったりもします。逆に、「病気に甘えるんじゃない!」とか言って厳しくあたられるのも非常につらかったりします。妻がムリなく内発的・自発的に、「これやるね」といって、ある程度はできることは役割分担でお願いし、やってくれたことにしっかりと「ありがとう」と伝える。無理なく役割を持てることが、やりがいや自信や回復の実感につながることもあるようでした。
⑥ 「啐啄同時な自立保護バランスぐすり」
卵の中のひなが殻をつつくのと、親鳥が外からつつくのが同時(早すぎず遅すぎずちょうど良いタイミング)である「啐啄同時」(そったくどうじ)のように、サポートをするタイミングが大切だと思います。早すぎれば自立心を損ないかねず、介入が必要な時に遅すぎれば危険にもなりかねません。そばでしっかり寄り添い見守り尊重しながら、また、サポートする側の思い込みや固定観念も改め自戒しながら、サポートする側が都合が良いかどうかではなく、妻の寛解への歩みにとってより良いかどうかを大切にしながら…。
⑦ 「生活リズムと日にちぐすり」
心の回復は、いわゆる「うつ抜け」といった、ひょっこりとある日に突然の回復ということもあるでしょうが、その「うつ抜け」でも、それまでの日々の回復への積み重ねが大切でしょうし、安心して過ごせる日数をしっかり積み重ね、少しずつ自信や希望も回復していけるように、良きリズムで日々を重ねることが大切だと思います。
⑧ 「穏やかゆったりぐすり」
「今日やらなければ」を、「明日でもいいことは明日やる」に変えるとか、「スケジュールでムリやり心を押す」「予定に心を合わせる」とかではなく、「心の状態に応じて予定を合わせる・キャンセルや延期する」という、心を優先したゆったりした過ごし方をしてもらえるよう努めました。予定の「足し算」ではなく、ゆったり過ごすための予定の「引き算」です。
こういった「8つの薬」としてまとめてみたことを、「おうち入院」で大切にしてみました。
4 「沼掘り工事株式会社」と海釣り
おうち入院カルテをもとに 退院後まもなくの頃
睡眠トラッカーでチェックしてみても、睡眠はまずまず良好。朝食準備や洗濯も比較的スムーズで、雨予報を見ながら洗濯物を干すかどうかも自分で判断できていました。私は「徐々に刺激や変化にムリなく慣れていけるよう、妃美ちゃんの意思や希望に合わせて、無理のない範囲で任せる部分を少しずつ増やしていくのが良さそう」と記していました。
同じ日の会話で、考えなくてよいことまで、マイナス思考を自分でどんどん大きくして、落ち込んでいく「沼」を自分で掘って自分ではまりに行ってしまうような状態を、私は「妃美ちゃんが親方の、心の沼掘り工事株式会社」と名づけました。「作業員さんに、沼掘り撤収~!って呼びかけてみよっか」。深刻な状態を軽く見るのではなく、深刻さに飲み込まれないためのちょっとした言葉遊びも交えながら、妃美ちゃんにイメージしてもらいやすい工夫をしてみました。
おうち入院カルテをもとに 退院後まもなくの頃
家族で東京湾の海釣り施設へ。海を前にまばゆい日光と海風の中で約3時間半を過ごし、翌朝、妻は「これまでと全然違って調子がいい」と話しました。さらに「昨日でガラッと変わった気がする。過去にとらわれるより、これからを良くしていこうと思う」と、自分の言葉で前を向こうとしていました。
夫メモ: 自然(陽光や景色や海風など)が治療そのものだ、と一般化するつもりはありません。ただ、家の中で同じ不安をぐるぐるとループさせて沼にはまる時間やパターンから離れ、「太陽がキラキラしてる」「いつもと違った景色だね~」「楽しかった」「思っていたより活動できた」という経験を少しずつ増やしてみることが、妻には大きな自信になった日でした。
5 「旅行リハビリ」――日常から少し離れる
2022年7月、大学病院の精神科外来の後に、家族で千葉県の鴨川方面へ出かける「旅行リハビリ」を試してみました。
旅行を予定通りのスケジュールで進行させることが目的ではありません。
疲れたら予定外でもサッと休む。
ムリそうなら予定を削る。
ホテルの部屋で寝ていてもいい。
旅程を守ろうとするより、心の調子を守ろうとすることを最優先にする。
旅は「元気な人がするもの」ではなく、転地療養なのかどうかよくわかりませんが、心の回復の途中にいる妻が、マイペースながらも景色を変え、心に新しい風を吹かせて、心の中の重い空気を引き飛ばすような機会にもなればと思ったりしました。
ただし、旅行そのものが負荷になる時は、当日の出発直前でもホテルのキャンセル料がかかっても、旅行をとりやめて心を最優先にして家族ともに家にいる、ムリに出かけないことにしていました。
ここでも「足し算」ではなく「引き算」が基本でした。
おうち入院カルテをもとに――深刻な時ほど、笑える言葉を
退院直後の時期、私は気持ちの落ち込みを「沼」に例えて、その沼を自分で深く掘ってしまうような思考の状態を、冗談めかして「沼掘り工事株式会社」と表現してみました。揶揄するようなお話しではありません。重い心の状態を、重い言葉だけで対話し続けると、遊び心もなくなって、しっとりではなくカサカサの対話になりそうなので…。
海釣りや自然の中で過ごす時間、短い外出、場所を変える「リハビリ」ステイなど。
心の回復のために何かをムリにでも頑張るのではなく、「気づいたら少し気分が変わっていた」という、苦しいことにではなく楽しいことやワクワク感に「心とらわれる」「気がまぎれる」ひとときで、心の「沼」から自然と脱出できればいいかも、とか思ったりしています。




