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【第2章】 見えにくい家庭内の人権侵害——虐待・機能不全・条件付き愛情
◆ この章でお届けしたいこと: 目に見える暴力だけでなく、日常の小さな否定や条件付きの愛情が、なぜ長く心に残るのかを考えます。
1 虐待は「殴る・蹴る」だけではない
虐待という言葉から、身体的な暴力を思い浮かべる方は多いかもしれません。
しかし、心理的な威圧・無視・差別的な扱い・生活上の必要な世話をしないこと・性的な接触など、虐待という心身の傷つけ方には、いろんなタイプがあります。
虐待のタイプとしては、①身体的虐待、②性的虐待、③経済的虐待・ネグレクト、④心理的(精神的)虐待、の4タイプがあります。
家庭では「しつけ」や、「昔はこれくらい普通だったんだから」とか、「家族だから我慢して当然でしょ」といった言葉で、問題を過小評価されがちですが、昔からあったことと、今も続けて良いことは同じではありません。
昔からやっていたからいいじゃないか、といって、飛行機の機内で喫煙すれば、場合によっては、近くの空港に緊急着陸の後、機内で喫煙を続けた人が訴えられたりするかもしれませんよね。
セクシャル・ハラスメントへの法令が制定される前のように、例えば、職場で男性の社員が女性の社員さんのお尻をペロンっと触るようなことも、昔はよくあったようですが…。
「お尻を触らないで下さい!」と言われて、「そんな怒らなくてもいいじゃん。ちょっとした、コミュニケーションじゃないか!」と逆切れするようなことを、今も続けたらどうなるか…。
今では、WHOのガイドに沿って「性暴力」として社会問題化していることを、今も、「昔はまかり通っていたから今もやっていいじゃないか」とやってしまえば、訴訟や報道で厳しく追及されることでしょう。
昔はまかり通っていたり、無理やり押し通せていたりしても、今は昔と違います。
また、「性暴力」問題のように、昔の問題が、今、改めて処罰や訴訟の対象として、厳しい視線が注がれる中、昔のことだから、といって、逃れられるものでもなさそうですよね。
虐待に限らず、家庭内か地域社会かによらず、いつであれ、どこであれ、誰とであれ、お互いの人権尊重が重要です。
2 家庭が安心の場でなくなるとき
家庭は、本来、外で失敗しても安心して戻って休める場所で、弱ったときや困った時に心を立て直せる場所であってほしいものです。
しかし、家族の誰かの怒りや支配が強いと、家にいても休めないというか、家にいる方が気が休まらず苦しい場所になってしまいます。
少なくとも私の場合は、家庭内の両親のもとにいる方が、社会の荒波よりも激しく苦しく、人格や個性や可能性を全否定され、本音をうっかり話せば、激しい感情の嵐にさらされたりしました。
家路につく一歩一歩の間に、今日はどう家の中で緊張せずに過ごせるか、何を言ってどう振舞えば嫌な思いをせずに済むかを、自分が生きていくために探しながら帰宅したりして…。
これでは、家庭が「心の安全基地」として機能しにくくなっている状態です。
3 「家庭内の愛情獲得ディール」
私は、「条件付き愛情」を、無条件ではなく交渉・犠牲・妥協などの末に、条件を整えて初めて得られる愛情という点から、「家庭内の愛情獲得ディール」と呼んだりしています。
「親の望む通りに話し行動すれば、生きる場を与えてもらえる」
「親の価値観に従っているとカモフラージュし続ければ、親から愛され支援を受けられる」
「反論せず反抗期にすら反抗のひとつも見せない『忠臣』を演じ続ければ、良い子として条件付きの愛情を得られる」
愛情が取引条件(ディール)になると、子としては、自分らしさ・個性・自分の可能性などと引き換えに、条件付きでも親の愛情や安心感を得ようとしたりします。
それは、あたかも、人権の一部を捨てれば、愛情の一部を与えられるかのような、本来は備わっているはずの人権を、心とともに売買交渉するような感覚を覚えたりしました。
無条件の愛情とは、いかなる良からぬことをしても、唯々諾々と許し放任することではありません。
先に述べた「教育」において、怒ったり怒鳴ったりせずに、理由とより良き方向性を示した上で「叱る」ことは、家庭の教育機能としても重要でしょう。
しかし、無条件の愛情では、見返りや取引材料を求めるものではなく、子が、親にとって都合の悪い考えであれ、親にとって価値の無いものと思われる物事を大切にしたい思いを持っていても、その子のあるがままに個性や多様性を尊重して公正公平に受け入れ、その子の可能性を信じて支えることだと思います。
それは、その子の成績が良いかどうかや、力が強いかどうかや、精神疾患や障がいがあるかないかなどに左右されません。
無条件の愛情は、親にとって都合が良かろうが悪かろうが、子にとっての最善を支え、同じ家庭で家族として生きる、同じ人権を持った人間同士として受け入れ尊重できているかどうかが、子育てする親に問われる親としての成長ではないかと思います。
行動には家族で同じ人間同士の公正公平なルールや配慮を設けながらも、相手の存在そのものや人格や個性などを否定しないことが重要です。
「お互いに幸せになりあえるように、この言動や対応を、どう変えていけばいいか、一緒に考えてみよう」と伝えることと、「お前はダメな人間だ」と人格を否定することは全く違います。
4 「小さなヤスリで心をなで続けられる」ような日常的な呪いのような心のキズ
大きな暴力や強烈な心理的虐待がなくても、日常的な小さな人格否定や卑下や、決めつけ、押しつけ、子への偏見、他との比較、親の価値観を子に押し付けることなどが積み重なると、心は日常生活で少しずつ削られていきます。
社会では、悪意が明確でなくても、受け手に差別的・排除的な痛みを与える言動を、「マイクロ・アグレッション」と呼んで、言動を改められるよう再考を呼び掛けていたりします。
家庭でも、親の側には「これくらいでごちゃごちゃ言うな!」と思える一言や些細に見えるトゲのある言動が、子には長期的な痛みや「呪い」というかトラウマというか、心理的な傷として残り続けることがあります。
◆ 大きな一撃だけが人の心身を傷つけるのではありません。小さな否定・これくらいと思う偏見や押しつけが「日常」になったとき、傷は見えにくく、深くなり、子の心身に長年積み重なる傷として残ったりします。
ミニワーク② 「心の花壇」を大切に見つめ直す
・子どもの頃に、自分としては好きだったこと・自分としては大切にしたかったことなどを、3つ書き出してみましょう。それら3つについて、親から価値のないものだと否定されたり、下らないとけなされたり、おちょくられたりしたことがなかったか、書き出してみましょう。自分が大切に思うことを、親の指示や雰囲気や価値観などに、自分の希望や願いを追いやって、寄せていったことはありませんでしたか?
・今週、親や周りが何と言おうと、自分が大切にしたいこと(どんな些細なことでも)を1つか2つ挙げてみましょう。自分の大切にしたいことが芽生えた「心の花壇」を、荒らされそうなときに、どう守り対応したら良さそうか思いつくまま挙げてみましょう。



