書籍『毒親を反面教師に、幸せな家庭をつくる』先行オンライン公開版(無料版)
JMRIお目当てサーチ(キーワードで弊社サイト内のお目当ての情報を検索できます)
書籍PDF一括ダウンロードは下記表紙をタップ/クリック
【第3章】 私の50年と「毒親ラボ」——自分を実験台にしながら、自分の人生の研究者になる
◆ この章でお届けしたいこと: 私自身の体験を「誰が悪いか」の材料ではなく、何が起き、どう身を守り、何を次世代へ受け継がないかを学ぶ材料として見つめ直します。
1 「大人になってから答え合わせをしよう」
私は小学校5年生の頃くらいから、家庭で、「ウチの親は何かおかしい」と感じる場面が、少なからずありました。
しかし、子ども(しかし、人権も考えもある「小さい大人」)の頃は、世の中で、何が適切で、何が不適切か、何が「正しい」か、何が「正しくない」かを、必ずしも十分に比較し検証するだけの知見や経験が身についていません。
そこで、心の中で、「今は、判断を保留しよう。大きい大人になってから、答え合わせをしよう」と考えるようになりました。
表面上は両親に合わせながらも、自分の心や「心の花壇」まで、親に依拠して明け渡さないための、小さな防衛策でした。
象徴的な記憶の一つに、小さい頃の誕生日があります。
私は、スーパーの棚につるされて売られていた、ごく手頃な電車の模型のおもちゃを希望していました。
しかし、親は親なりに、「こんな安いものなど価値はない。こっちの高い大きな電車にしてやらねば。」と思ってくれたのでしょうが、実際には、またいで乗る電車の模型を贈ってくれました。
問題は値段や社会的な価値の高低ではありません。
価値観やその人にとって大切にしたいものの価値は、誰かに決められたり与えられたりするものではありません。
私が戸惑ったとき、「高い物をもらったのだから喜ばなきゃダメでしょ」と言われ、家庭内で「自分が好きなもの」「自分が価値あるもの」「自分のみつけた幸せ」は度外視で変な空気に…。
その後、「与えられる幸せ」に、自分の感じ方や感謝の言葉まで、親の思うように、親の期待するように、親の好む通りのリアクションをしなければならない状況に置かれました。
自分にとっての喜びや幸せや価値は、誰かに一方的に与えられるものではなく、「そんな下らない安っぽいものなどムダだ」ではなく、相手の意志や希望を尊重して築きあうものと思います。
物を与えることと、相手の幸福を尊重することは同じではありません。
そのことを、ずっと後になって振り返って言語化できました。
この体験を振り返ると、私が本当に欲しかったのは、社会的に誰かが値付けする「より高価な物」ではなく、「自分の気持ちをそのまま受け取ってもらうこと」だったのだと思います。
子どもにとっては、何を与えられたかと同じくらい、自分の希望が聞かれたか、自分の反応が尊重されたかが大切です。
息子を育てながら、私は、親の愛情を、金額や親の価値観だけで測らないようにしたい、と思ったりしています。
2 助けた相手から理解されない心の激痛
家族の問題をかばい、矢面に立ち、支えようとしたのに、自分が弱ったときには理解や共感を得られない。
それどころか、「ここから先はガケで危ないから、少し離れてあちらの方へ…」と、崖っぷちで両手を広げて身を挺して親をも守っても、そのまま、「なんやのん、偉そうに、偽善者が!」と、身を挺した子が親にガケから蹴落とされるのは苦しいです。
そうした経験は、身体の疲労とは違って、深い孤独や悲しみや精神疾患を招きます。
「家族ならわかってくれるはず(というかわかりあいたい)」という淡い期待が、決して、家族に期待してはいけない身を亡ぼす一本道だとは、なかなか理解が追い付かず悩んだりしました。
自然界の猛獣ですら、猛獣が人間に助けられたら、襲って食い殺すことなく、感謝を示してくれたりするようで、そんなSNS上の動画も観たりしますが、親より優しいなぁと思ったりします。
そんなことも、家庭内の閉じた世界のままだと、外面だけで周りに信じてもらえなかったり、そんな様子が、親をさらなる毒親へとエスカレートさせてしまったりしかねません。
もし、子として、親子関係に悩んでいるなら、せめて、児童相談所や区役所などの相談窓口や、支援団体などの方々に、悩みや苦しみを打ち明けて、心の中の苦しみを口から話して心の外に少し開放してあげるだけでも、心が癒されるかと思います。
家族以外にも支えを求めることや、家族のことを他の誰かに話してみることなどは、親や家族への裏切りではありません。
親や家族との関係を立て直す上では、むしろ、避けるべきではない回復ステップなのかもしれないと思います。
3 「毒親ラボ」という距離の取り方
私は、自分を一方的な被害者として固定するよりも、「何が起きているのか」「どんなときに傷が深くなるのか」「どの距離なら自分を保てるのか」「何を次の世代に残さないか」を観察したり考察したりするために、「ラボ」という発想を持ちました。
白衣を着てフラスコを振る研究者のように、自分の経験を少し引いて言葉にして客観的に眺めてみる…。
そんな心の中の苦しみや状況を、文字にして心の中から心の外の開かれた世界に持ち出してみると、その過程が心の浄化につながるように感じています。
現実の私は、実験台のモルモットではなく人間です。
苦しむ日も、怒りに震える日も、絶望する日も、動けなくて横になって過ごすしかない日もあります。
それでも、事実、感情、心身への影響、次の対策などを観察したり考察したり記録したりすると、苦しみの中から再現性のある知恵というか、ちょっとした可能性が見えてきました。
自分を実験台にするようなほど客観的に見つめ直し、自分の人生の研究者になって、自分だけの「毒親デトックスの『おくすり』を開発する」という歩み…。
それが「毒親ラボ」だったりします。
毒親デトックスって、復讐心や不公平感や正当化を超えて、自分がどう生きたいか、何を大切にしたいか、どうありたいか、といった、自分の命が続く限り続く問いのような気もします。
その命が長くなるか短くなるかはわかりませんが、やれるところまでやってみようかと思っています。
ミニワーク③ 自分の人生の研究「4つの問い」
・親から何を言われ何をされて何が起きたか——事実だけを書く。
・そのとき、自分で何をどう感じたか——怒り、悲しみ、恐怖、罪悪感などあるがままに書き出してみましょう。
・心身にどんな反応が出たか——眠れない、動悸、食欲低下、集中力の低下、吐き気、頭痛、心の苦しみ、などあるがままに書き出す。
・次に同じことが起きたら自分をどう守るか——心身の距離をおく、相談する、時間をおく、などの対策を書き出してみる。
4 ネガティブをポジティブにする「心のフィルター」
私は若いころから、過酷な出来事をそのまま心の中に沈殿させるのではなく、「ここから何を学べるだろう」「次に同じことを起こさないために何ができるだろう」と考えてきました。
どうせならプラスにするような、何か付加価値をつけられたらとか、苦しみすら楽しんでみることができないか、とか…。
もちろん、つらい出来事を無理に美談へ変えるという意味ではありません。
痛みは痛みとしてあるがままに認めたうえで、その痛みに、自分の人生や心のすべてを支配させないための工夫です。
この「フィルター」は、絶対に万能というわけでもなければ、万人に効果がありそうかどうかも定かではありません。
私なりに、試行錯誤しながら、心の負荷を認知を変えてみたり物事の見方をポジティブにしてみたりしているだけのことです。
心身の疲れがピークの時には、心のケアや睡眠や気分転換などといった、心のメンテナンスや「心の花壇」のお手入れも必要になります。
心にモロに食らってダメージを負うこともあります。
それでも、「起きたこと」と「これからどう生きるか」を分けて考え、考察し、対策を考えてみながら、すべてをポジティブに活かせないかと模索してみたりしています。
自分の心の主導権を、少しずつ取り戻す助けになるようにと、そっと祈り願いながら…。
◆ 今日の一歩:つらい・しんどいと感じた出来事を、「①起きた事実・②自分の感情や感想・③事実が及ぼした自分の心身への影響・④次に同じようなことが起きた際に備えた対策や乗り越えたりやり過ごしたりするための工夫」の4項目に分けて記録してみて下さい。自分で自分を裁いたり責めたりする記録ではなく、自分を守るための「毒親デトックス」のレシピとなるかもしれません。



