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【第11章】 良き親子関係を育む——対話・境界線・自律


◆この章でお届けしたいこと: 親子を「上下関係」でとらえず、役割の違いや多様な個性などの尊重をもとにした対話・境界線・自律について整理します。

1 親子は「上下」でなく「共生」である

 親には、子に対する法令上や人権上の、責任や義務や責務があります。
 もちろん、その責任や義務の中に、児童虐待防止も含まれています。
 家庭における親や子という同じ人権をもつ者同士の関係性は、親から子への一方通行の命令系統にする必要はありません。
 ある面で、親は、子育てを通じて、子に教え伝えることができる物事以上に、深い学びや多くの気づきを子から学ばせてもらえる機会があります。
 また、親の時代や社会状況と異なる、新しい価値観・IT 環境・社会生活の様式をはじめ、今の社会や学校での文化・親が詳しくない子の得意分野など、親って、以外と知らないことだらけだったりします。
 子の世界に耳を傾けると、家庭は固定された一方通行の権力構造から、柔軟に多様な学び合いを通じてお互いに信頼とお互いの幸せを育む安全な場へと変えていく可能性が広がります。
 親も子も、それぞれに、多様性・個性・価値観・好き/嫌い・得意/不得意・何らかの成果を成し遂げる可能性など、様々な異文化を備えた人間同士です。
 身長や体重も異なれば、疾病や障がいの有無の違いもあったり、視力も異なれば、その日ごとの体調も家族それぞれです。
 家庭は、何も、単一の価値を良しとする、画一的な文化に染まらなければならない組織ではありません。
 むしろ、家庭は、多様な文化性を備えた「共生社会」なのです。
 お互いの違いは悪ではなく、それぞれに活かせる素晴らしい多様な可能性です。



2 人格ではなく、行動と影響を話す

 「そんな対応をするあなたは、ダメな人間だ!」ではなく、
 「大きな声で言われると、私はすごく怖く感じます。ちょっとだけでも、声を落ち着けてもらって話したいです」と、相手の人格を攻撃したり責めたりせず、「人を責めず問題を解決する」ことに注力するようにできると良いでしょう。
 「もう勝手にすればいい!」ではなく、
 「今はちょっと心が落ち着いていないから、コーヒー・ブレイクして、30分後に落ち着いて話そうか」など。
 人格を攻撃せず、具体的な行動と自分への影響を伝えると、対立がエスカレートしにくくなります。
 また、この「エスカレート」を防ぐというのは、心理療法のひとつの「家族療法」などでも、注目される点だったりします。
 相手から暴言や傷つく言葉が出た際には、例えば、
 「いま話してくれた意図に悪意はないと思っているけど、そんなふうに言われると、暴言で人格攻撃してるみたいに受け取られそうな感じだったよ。話してくれた意図は~だろうから、~について、少し言葉を変えて話せたら嬉しいな」
 といった感じで、心の余力を貯めておき、毒親や精神疾患・精神障がいの症状や傾向が出てきている場合でも、ある程度の配慮をしながら、人格攻撃などを避け、エスカレートもなるべく避けられるといいでしょう。
 そんな心の余裕とか心の余力なんて、貯めらないよ!という場合は、せめて、お互いにエスカレートや傷をつけあう状態を避けるために、10分でも休憩して席を立ってから話に戻るなど、工夫しながら、こちらが人権侵害になる対応をしないように…。
 それだけでも、家庭内でエスカレートを防いで、対話や交流へ向けた助走としては十分かもしれません。



3 線引きは「相手を拒絶する壁」ではない

 相手との境界線を意識して、相手の問題を自分の責任として背負わされないよう、自分の心身を守るため、自分は自分、相手は相手、という線引きをして心身を守れるようにしましょう。
 境界線で線引きすることは、なにも、「相手を拒絶する壁」を作ることではありません。
 事実や事実に沿って及ぼされる影響などに応じて、自責の念にとらわれたり、相手の問題を自分の問題にすり替えられて苦しんだりするようなことを避けるための、「護『心』術」という感じです。
 相手を尊重するからこそ、なんでもかんでも、自分のせいだと、相手の責任を無視・軽視して、自分で引き受けてしまうのは、ある意味で、相手を尊重しない越権行為かもしれません。
 ちゃんと、相手を、人権上も法令上も責任をもって対応できる立派な一人の人間、と尊重できれば、相手の問題や相手の対応を、必要以上に自分で背負うことは、そもそも必要ないことです。
 思いやりややさしさは、逆手にとられるためにあるのではありません。
 相手を尊重し、相手が自分で解決できる自立した存在として、敬意をもって見つめた際に、相手がアドバイスを無視して失敗したり、損害を被ったりした場合も、それは、相手の責任で、あなたがどうこう言われる問題ではありません。
 最低限のアドバイスはしておいて良さそうですが、それ以上は、相手が自立した人間である以上、あなたが過保護な保護者のように、あれこれと過剰な介入や責任感を負う必要はありません。
 あとは、相手が相手の意志や希望や判断で行ってことによって、あなたの心身が傷つけられないよう、しっかり、相手は相手、自分は自分、と、線引きして、必要な場合は、司法判断や専門機関の対応に委ねるようにすればいいだけです。
 あなたが、毒親を突き放すわけでも、毒親を捨てるわけでもありません。
 あなたのやさしさや思いやりを無にする人と、どうすれば、お互いに嫌な思いをせずに、お互いにとってそれぞれの幸せを実現できるかを試行錯誤して、たまたま、別々に暮らし別々に生き得る方が、お互いに幸せに向かいやすかったり、心身の距離をとる方が、全体的に見てより良かったりする、というだけです。
 あなたは、あるがままに、あなたでいい。
 あなたは、相手がどうあれ、「心の花壇」を大切に…。
 こうした境界線・線引きは、冷たい壁ではなく、安全にお互いにとってのそれぞれの幸せを守り育むためのガードレールです。
 親にも、意識的であれ無意識的であれ、境界線・線引きがあります。
 子の要求を、なんでもかんでも、すべて受け入れる必要はありません。
 「全部かなえてあげたい気持ちはあるけど、なかなか難しいから、少しでもその希望に沿った対応になるように、代替策を一緒に考えてみない?」
 とか、
 「ここまでは手伝えるけど、これ以上はしんどいなぁ」
 などと、自分を大切にしながら、突き放すでも丸のみでもなく、お互いに幸せになりあえる関係性や落としどころに向けて、トゲなくクッションとなる言葉を添えて伝えれば良いのです。



4 自立や自律は、一人で全部やることではない

 自律や自立って、世の中の誰からも助けを借りずに、孤立して孤独に、自分だけで対応しなければならないということではありません。
 自分ひとりで、世の中で生きているわけではない…。
 必要な支援を礼儀や丁寧な言葉で求めて助けを受けながら、自分で考え、選び、歩んで行く力が自立ということだと思います。
 子育てでしたら、親が子に、小さな選択からでも子が自分で主体的に取り組めるように任せ、失敗しても相手を責めたりせず、困ったら戻って心身を休めることができたりする…。
 そんな家庭での心理的な安全性と、物事に挑戦しても咎められず次の挑戦の学びを得る姿勢や、人を責めず問題を解決する対応などが、子が外の世界でイキイキと自然と輝く力となります。



ミニワーク⑧ 家庭の対話を一つ変える

・子が困っていることや、失敗したと思うことを、いくつか書き出してもらう。

・困ったことや失敗したことを、「なんでできないの?」ではなく、「どんなことで困った?」「不安でしんどくなかった?」「どんなことが失敗だと思った」で聞いて、書き出してみる。

・子の話を、頭ごなしに否定したりせず、最後までしっかり聞く。議論が熱くなりそうなら、少し休憩をはさむ。「あなたはいつも~だからダメ」ではなく、「よく~で困りやすいのね。そんな時は、こうしていくのもいいかもよ」といったアドバイスや、「こんな時に不安に感じたのね。しんどかったね。」という共感や、「それって、失敗に見えて、こんな学びが潜んでそうだね」といった気づきを促す対話にしてみる。

・困った・不安・失敗から、次にどうしたらうまく対応できそうか書き出してみる。



5 「心のクッション」を厚めに積み重ねる

 相手に伝える・伝わるメッセージでは、「内容」そのものよりも、その内容の「表現」というか、伝え方で相手に誤解を与えたり、きつい言い方で傷つけたりすることがあります。
 伝えたかった意図・内容としては、
 「あなたは、理解力がある程度ある人だと思う」
 であっても、言い方・表現・声のトーンや表情で、
 「あなたは、なんで、そんなこともできないのっ!」
 と、悪意も攻撃の意図もなく無意識の内に、つい、険しく厳しくなってしまい、自覚なく相手の心を傷つけたり、人格攻撃のようになってしまったりすることもあったりしそうです。
 自分は毒親なんかじゃない、という方も、私は悪いことはしていない、と自覚や認知が及ばない方も、「うっかり毒親コミュニケーション」になっていないか、見つめ直してみて下さい。
 「いろいろ頑張ったと思うけど、どこが難しかったかな?」
 とか、
 「気分を悪くしたらごめんだけど、なんでミスしたか、一緒に考えてみたら、次に同じミスを避けやすいと思うから、少しだけ一緒に考えてみてもらってもいいかな?」
 といったような、いきなり伝える内容をエイッと投げつけるのではなく、少しだけ、前置きとして、相手に配慮を示す一言を添えて、対話・交流して行ければ、スムーズに進みそうです。
 相手への配慮を示す一言や、偏った物事の見方で全部自分が悪いと自責の念にかられるのを、線引きしたり物事を見つめ直して自分で自分を責めたりせずに済むようにするなど、相手からも、また、自分でも、心にダメージを負いにくい「心のクッション」を、フカフカに厚めに積み重ねておければ安心です。
 睡眠不足や体力消耗などで心の余裕がなくなっていると、「心のクッション」が薄っぺらくなって、相手に配慮を示す一言が欠けがちになったり、相手のメッセージを受け取る側も、もろにダメージを食らったり、一呼吸置いて冷静になれずに、感情的に反発してしまったりして、お互いにつらい状況になりそうです。
 「心のクッション」を厚めに積み重ねておくためにも、なるべく睡眠時間を削らず、質の良い睡眠を十分にとる。
 体力の消耗がある時に、ムリに対話や交流をもたない。
 伝える「内容」は正しくても、伝え方として「表現」がそぐわしくないと、相手は傷ついたり怒ったりすると理解する。
 対話や交流の前に、温かいコーヒーでも飲んで、ホッとする。
 などなど。
 相手への配慮を示せる心の余裕がなければ、時を改めてみるのも一手です。
 毒親の中には、伝える「内容」という部分的な正しささえあれば、どんな強烈で乱暴な伝え方の「表現」でメッセージを伝えても、自分は悪くない・相手が悪い、という認識の人もいるように見受けられます。
 その一方で、その毒親が、子から丁寧に慎重に言葉を尽くして配慮を示しながらメッセージを伝えても、「自分と異なる意見や親に物を言うのは、子による親への許されざる反抗だ!」と、極端にとらえてしまうケースも見受けられます。
 親が子にどんな「内容」をどんな「表現」でメッセージとして届けるか次第で、親のメッセージが子の毒にも薬にもなる、ということを、まず、知るところから始めてみましょう。
 また、親が子から、どんな「表現」でどんな「内容(と感じていること)」をメッセージとして受け取った際、そのメッセージの解釈の仕方を、子ではない中立・客観的な第三者からフィードバックをうけながら、親自身による解釈と、実際のメッセージとのズレを修正していければ良いように思われます。
 お互いの協力関係がある程度あるなら、対話・交流の様子をビデオで録画して、表情・声のトーン・伝える内容と表現などを、客観的に見つめ直してみるのも良いかもしれません。





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