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【第6章】 傷ついた心を守り、少しずつ癒す——安心に慣れる練習


◆ この章でお届けしたいこと: 回復は「早く元気になること」というより、安心な状態に慣れて、自分で歩み方を選べる感覚を少しずつ取り戻す過程だったりします。

1 「自分のせい」とすぐに思い込まない

 毒親から長く責められ、責任転嫁され、支配されてきた場合は、家庭内で、「自分のせい」「自分が悪かったとして過ごせばいい」と、すぐ思い込まされる日々かもしれません。
 また、毒親が、子に、そういった反応や対応をするよう仕向けていたり、「ごちゃごちゃ言わずに、最初から『素直に』そう対応していたらいい」とか、「そう、それが良い子ってことよ」などと、教え込んだり、刷り込んだり、思想統制したりするようなことが、何気ない日常の繰り返しの中にあるかもしれません。
 「しめしめ、また、子をうまく誘導できた」
 といった、毒親の本音が、「教育熱心そうに子を育てている親」みたいな仮面の下で、ほくそ笑みながら聞こえてくる状態かもしれません。
 他罰的で無責任、物事を押し通したい、そんな毒親かも…。
 責任感が強くやさしい心を持つ子や、親の激しい表情・怒鳴り声・半狂乱になってわめいてくるといった対応など、気の弱い子も、毒親にとっては都合が良いのかもしれません。
 問題が起きると、子は、反射的に、「私が悪かったのでは」と考えやすくなっても自然なことかもしれません。
でも、全部あなたが悪いわけではありませんし、自分にも改善点があることと、相手の加害まで自分の責任にすることは別です。
 よく法律家の使う言葉でいえば、「事実と評価を分ける」こと、つまり、毒親のやっている事実・その影響として生じた物事や出来事と、毒親が身勝手に自己評価や感想として「私は正しい。お前が間違っている」ということは、別々に分けて整理しておくべきです。
 事実と評価、毒親の責任と子の責任、親の身勝手な人生と子の人生、こういった、本来は別々のものを。全部「自分が悪い」と混同させられずに、1つ1つ分けていくことが、あなたの心身やあなたの人生の回復を基礎として支えてくれるでしょう。



2 「心の穴」は「心」でしか埋まらない

 条件付き愛情の中で育つと、「成果を出せば自分に価値があるとして扱われる」「毒親の役に立てば愛される」といった、条件達成で初めて得られる愛情、という感覚が身につきやすくなりかねません。
 一報で、毒親の求める条件を満たせなかったり、条件交渉がうまくいかなかったりしたら、愛情がごっそり抜け落ちて、「心にポッカリ穴が開いたまま…」ということも…。
 傷つけられた心は、代償として提供されるお金やプレゼントなどでは埋まりません。
 むしろ、そういった対応は、分厚い札束で頬をたたかれ続ける状態になったり、愛情の代わりに提供するお金やモノが、あなたへの「損害賠償」でしかなくなったりするかもしれません。
 毒親が「お前には何不自由なく育ててやったのに…」と、毒親が良い人・子が恩知らずのとんでもないやつ、というような、「加害者」と「被害者」のすり替え涙ばなしも展開しがちです。
 でも、その「何不自由なく」提供されたお金やモノがあったとしても、子への虐待や負の影響などの「損害賠償」(マイナスを少しでも埋めようとするもの)でしかないのかもしれません。
 そもそも、マイナスになるような虐待や負の影響を、なかったことにして、その上で、また子を悪者として責めているのは、毒親が二重に子を責めている悪質な対応ではないでしょうか。
 お金は生きる上で必要ですが、「お金で心を売れ」は悪質…。
 逆に、一銭もお金がかからず、一銭も毒親にお金を求めなくても、親が心の底から謝罪し改悛の情を示してくれたとしたら、あなたの心の穴が、その時はじめて埋まるのかもしれません。
 仕事、資格、収入、肩書、社会的地位、他人からの評価などは、人生で大切な成果にはなり得ますが、それだけで心が休まるようになるとは限りません。
 それよりも、「成果を出しても出せなくても、自分が、ここにいて受け入れられる、尊重される、安全に過ごせる」という感覚が、機能不全家族から脱していく第一歩なのでしょう。



3 「カクタス・パラドックス」——優しさに戸惑ってもいい

 長く親子関係がカラカラに乾いた環境にいた人は、急にたっぷりの愛情ある「水」を与えられると戸惑うことがあるかもしれません。
 私はこれを「カクタス・パラドックス」と呼んでいます。
 カクタスって、サボテンのことですね。
 パラドックスって、逆説とか、奇異なことといった意味です。
 過酷な砂漠でたくましく生きるサボテンの、奇妙な状況って、どんなことでしょう?
 砂漠の過酷な環境で生き抜くすべを身に着けてきたサボテンは、家で鉢植えで、こまめにたっぷりの水を注ぎながら育てると、却って、うまく育たなかったりするようです。
 過酷な環境に適応してきた人にとって、無条件の優しさや心理的な安全性が、かえって落ち着かなく感じられることがあるかもしれないなぁと、私自身が振り返って思ったりしています。
 誰かが親切にしてくれると、「これは絶対、裏があるに違いない」とか、「何か返さなければ捨てられるのでは」と、不安になったりしがちかも…。
 それは、性格がひねくれているからではなく、過去の過酷な環境に適応して、生きるために身につけた警戒心によるものかもしれません。
 無償の愛情・無条件のやさしさ・安全で安心できる環境など、こういったことに身を浸して慣れることも練習です。
 少しずつ、見返りを求めない関係、あるがままの自分で受け入れられる状態、自分で物事や生き方を決めても責められない状況などを、ひとつずつ身をもって経験していけばよいと思います。
 そして、あなたが親になる時に、子に、条件付き愛情ではなく、無償の愛情・子のあるがままの状態を受け入れるということなどを、身をもって、家庭環境として築いていければ良さそうです。
 そのために、毒親のもとから離れて、支援団体のシェルターや支えてくれる方々のもとで、心を回復させて、親として、復讐心や不公平感から子を痛めつけないで済むようになればいい…。
 毒親と離れて暮らすことが、「親を捨てた」と非難されることなのではなく、「自分と子のための人生を取り戻すための巣立ち」となりそうです。
 毒親が「捨てられる」と言っても、「捨てられる」に値するような虐待や負の影響を及ぼしていては、なんの正当性もない「たわごと」でしかないように思われます。
 毒親は毒親なりの幸せを、子と離れて思う存分に実現すれば良いだけで、子は、虐待や負の影響を受けずに築ける幸せを、単に、親と別のところで実現すれば良いだけでしょう。



4 回復は派手な逆転劇ではなく、小さな安心の積み重ね

 おびえることなくグッスリ眠る。
 温かいものを安心できる食卓で食べる。
 ほっと心をゆるめて話せる人とひとときを過ごす。
 誰にも邪魔されない一人の時間を過ごしてみる。
 好きな音楽を、自分の好きな時に聴く。
 目的もなく制限設けることもなく、ただ、ふらっと散歩する。
 必要なら専門家に相談する。
 回復は、劇的にすべてが変わるものというより、少しずつでもより良く安心できて安全なひとときを過ごせる時間を増やす、ということから始まるように思います。



ミニワーク⑤ 安心に慣れてみる練習

・特に何をするでもなく、誰に何を言われるでもなく、ぼ~っと、ただ、ゆっくり過ごす時間を過ごしてみる(たとえ10分でも20分だけでも…)。

・親切を受けたとき、「ありがとう」と、一言だけでいいので伝える。(何かお返しをしなければいけないとか、新設を受けた代償として何か奪われるとか、そんなことを気にせずに感謝してみる)

・今日、自分で何か選べたことを1つか2つほど書き出してみる。
(何を食べるか、どう過ごすか、どんな動画を見るかなど、小さ
 なことでも大丈夫)。

・つらい日は、大きな決断や即断をせず、一晩寝かせてから、次の日以降に、改めて考え直してみる習慣をつけてみる。



5 「あるがまま」の自分に居場所をつくる

 条件付き愛情の中で育つと、「毒親の望む(あるいは、これを達成しなければクズだと言われたりする)成果を出している自分」「役に立つ自分」だけが、その家庭にいる権利がある、人権が与えられる、というように感じることがあるかもしれません。
 そのため、どれだけ、仕事、資格、肩書、収入、人からの評価などを、十分すぎるほど積み上げていたとしても、心の底では、家庭内でゆったりと休めない・安らげないということがありそうです。
 心身と人生の回復にむけて、「今日はゆっくり過ごしただけで、何も達成しなくても、ここにいて良い」という感覚と時間を、少しずつ持つことも大切でしょう。
 特に、自分で自分を責めることなく、何もしていないことを恥じるのでもなく、
 「今日は、ゆっくり安心して過ごす、ということができた」
 という事実を、しっかり認めて、その価値を尊重して、自分で自分を褒めてあげてみて下さい。
 グッスリと何にもおびえずに眠ることができた。
 温かいものを安全な食卓で食べることができた。
 好きな音楽を、自分の好きなタイミングで聴けた。
 誰かと笑えた。
 何もしないゆったりした時間を過ごせた。
 こうしたひとときは、価値のないムダなことではなく、心身の回復を安全な状態で安心と実感しながら過ごす、あなたらしいあるがままの人生を取り戻すための、1つ1つの積み重ねになるでしょう。

◆ 今日の一歩:今日は10分だけでも、「何かを成し遂げなければならない時間」ではなく、ただ、自分がゆったりするための時間」を、自分に用意してみましょう。休むことも、安心できる時間を積み重ねることも、心身と人生の回復への大切なトレーニングです。(だって、そのようなことって、毒親のもとで機能不全に陥った家族・家庭では、できなかったことかもしれないですよね。これまでできなかったことができるようになる、ということを、成長とか進歩って言うんじゃないでしょうか?)





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