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【第1章】 「毒親」とは何か——レッテル貼りより、子に起きていることを見る
◆ この章でお届けしたいこと: この章では、「毒親」というレッテルを安直に急いで貼るのではなく、具体的な言動と、その結果として子に何が起きているかを見る視点を整えること。
1 「毒親」は診断名ではない
一般に「毒親」(Toxic Parents(毒になる親))という言葉は、子の人生を過度に支配したり、さまざまなタイプの虐待で子を奴隷的に扱ったり、継続的に子に負の影響を及ぼしたりする親を表すために、本書でも用いている言葉です。
先行的に海外でそういった毒親に関する書籍が出たり、国内でも毒親という言葉が広まってきたりしていますので、おおよそ、それらと同様の意味とお受け取り頂ければと思います。
しかし、「毒親」は、自己愛性パーソナリティ症や双極性障がいなどといった、医学上の診断名ではありません。
本書では「あなたの親は毒親です」とか、「あなたは、ギリギリ、毒親基準から外れていてセーフです」といったお話しをすることを目指しているわけではありません。
家庭内での人権啓発・虐待予防のためのお話しをしています。
毒親について考える際、「いま、家庭内で何が起きていて、その結果、家族にどのような影響が出ているか」を慎重に見つめ直すようにしたいところです。
たとえば、進路、交友関係、仕事、結婚、住む場所、価値観まで親が決めたり、子が親の考えや決めつけと異なるプランや異論を示したりした際のことを、ちょっと考えてみましょう。
そういった際に、親から子に愛情が「示されなくなる」(親の考える枠内に収まる限りは愛情が示されるなどの機能不全家族における「条件付き愛情」)といったことはないでしょうか。
あるいは、子が生活できなくなうような支援の引き揚げが、親によって起こったり、「もう生きていくための支援をしないぞ」などと、精神的な虐待につながったりすることはないでしょうか。
その他に、親が子の失敗を注意して安全に向かうよう導くのではなく、親が子の人格や個性や多様な思考そのものを否定して人格攻撃をしたり、「お前は偽善者だ」と断罪してきたりするなど、親の機嫌を損なわないことが生活の第一条件になる。といったことはないでしょうか。
こういったことが続けば、子は「自分の人生なのに、自分で選んではいけない」「親の思考や、日によってコロコロ変わる親の感情の枠内から出ると罰せられる」などと、身をもって教え込まれる状態(虐待・人権上も負の影響)になりそうです。
2 親の「善意」と、子への影響は分けて考える
親が「あなたのため」と思っていることと、それが実際に子のためになっていることは同じではありません。
善意によるものと思っていても、親の思い込みや決めつけなどから、結果として、子の自律や尊厳や人権が損なわれることはあり得ます。
世の中で、「悪意のない害が、いちばんタチが悪い…」などと言われたりすることがあるようですが、親本人が自覚なく子に負の影響を「良いこと」と思い込んで、全力で子の心身が損なわれかねません。
逆に、子が嫌がったからといって、すべてのしつけや制限が人権侵害になるわけでもありません。
親であれ職場の上司であれ、相手の人権を尊重した指導の際には、「教育」(エデュケーション)と「教化」(インドクトリネーション)の違いを整理しておくべきかもしれません。
講演やセミナーなどで、戸村流のこれら2つの違いのまとめをお話しすることがあります。
「教育」は、相手の多様性や意志や希望を尊重して、より良き方向にお導きすること(指導側にとって都合が良いか悪いかに関わらず、相手にとって最善の対応をすること)。
「教化」は、民主的な社会では一般的に否定され得る概念ですが、刷り込み・洗脳・思想統制や画一的な対応の押しつけなどで、相手にとってどうかではなく、指導する側が「これが良い」というものに、相手を染めたりあてはめたりすることです。
よく、パワーハラスメントの事件などで、「あの人は、教育熱心過ぎて、パワハラを起こした」というようなお話しを、企業現場でお伺いすることもあります。
これって、「教育熱心」なのではなく、「教化に熱心」だと、私は思います。
相手の人権・個性・多様性・可能性や意志・希望を尊重した上で、指導側にとってではなく、相手にとってより良い導きに熱心過ぎるほど、パワハラとは対極の方向に進むはずですので…。
公益性や社会性の中で、お互いの安全や安心や心を守りあうためのルールを守ったり配慮したりすることと、「親の価値観に従わせる」ための「支配」とを、見分けて整理しておく必要があります。
3 外面の良さと家庭内の苦しさは両立する
社会的に立派に見える親、近所づきあいが丁寧な親、教育熱心で社交的に見える親であっても、家庭内で何が起きているかは別問題です。
相談した「子」という「小さな大人」が、周りにいる家庭内についてはよく知らない大きな大人たちから、「あんなに立派な親御さんがそんなことをするはずがない」言われれば、子は、二重に心が傷つくことでしょう。
家庭内はある種の閉じた世界でもあり、それが、家族のプライバシーが守られていることでもありますが、子への虐待や負の影響が、救済されずに隠蔽されてしまうワナにもなり得ます。
私自身は、そういった、外面の良い毒親、にならないよう、自戒を込めつつ、また、息子の家庭内での人権擁護のためにも、息子にはこう言っています。
「もし、パパっき~(私のことです)が、虐待とか乱暴なこととか、なんかおかしいと思うようなことをしたら、すぐに、この相談窓口に電話やLINEなどで相談するんだよ」と。
息子には、児童相談所・区役所・スクールカウンセラー窓口などの連絡先のプリントなどを渡して、親がどう思うかじゃなくて、子であるあなたがおかしいと思ったら、いつでも連絡して相談していいんだよ、と、息子にお伝えしています。
家庭問題を見るときは、肩書や学歴や実績や世間の評判ではなく、親と子における具体的な家庭内での事実・問題が起こる頻度・親の言うことなどを拒否したときの親の反応・心身への影響・安全に相談できる相手の有無などを、しっかり見ておくべきだと思います。
ミニワーク① レッテル貼りでなく事実を見る
・最近つらかった親と子との家庭内での出来事を、例として、1つ~3つほど、客観的に「何を言われたか・されたか」で書き出す。
・その出来事はたまたま一度きりか、繰り返されているかを書き出す。
・その後、自分の睡眠度合い・食欲・身体のキズや症状(胃が痛むなど)の有無・気持ちの変化・仕事や学業への意欲・親子や学校や職場での人間関係に、どんな影響や変化があったかを書き出す。
・「親が悪いか、自分が悪いか」ではなく、「どんなことを減らしたいか・どうなれば幸せを感じられるか」を書き出してみる。
※なんでもかんでも、「あの親は毒親だ!」「わたしは毒親じゃない!」ではなく、毒親か毒親ではないかを判断する前に、淡々と親が子にどんなことしたか・どんな影響を与えているか・子はどんな状況か、などを整理していく
※親としての自己評価は、必ずしも、子による他車評価と等しくなるとは限らず、むしろ、親は自己評価が「インフレ」傾向というか、自分は正しい・良い親だ・子にとって素晴らしい親だ、という虚像を親に都合が良い形で信じ込みがちだったりするので留意が必要。
4 「正しいことを言っている」だけでは足りない
親が「私は正しいことを言っている」と確信している場合でも、その伝え方や強制の仕方が子の人格や自己決定を踏みにじって、必ずしも良い理由にはなるとは限りません。
正しさに基づく言動には、内容だけでなく、相手の人権を尊重する対応・伝え方・伝えたことによる影響を想定することなどが重要です。
これは、私が息子と寝る前にベッド上でワイワイとお話しする時間などに、息子にお話ししてみたりすることですが、
「『正しいことを言っている』から何を言ってもいいし、害じゃない、というんだったら、例えば、おいしいカレーをみんなで楽しく食べている時に、医学的に正確で緻密な描写で、下痢の色やにおいや排せつされる場所について、詳しく延々とお話ししてもいいってことかなぁ?それって、TPO(時と場と状況)を考えたら、正しいことを詳しく言うほどに、害になってしまうこともありそうだよね~」
といった感じです。
あるいは、「部分的に正しい主張」として、健康・安全・学業などについて、親が子に妥当な助言をしていたとしても、主張の付帯条件として、「従わないなら愛さない」「反対するなら生活を保障しない」と精神的虐待のような脅しが付帯するなら、部分的には正しい助言が、全体的には「親が子を支配する脅し」へと変質してしまいます。
正論を都合よく振り回すのは、自覚なくナイフを振り回して人にケガをさせたり、「心に突き刺さる傷」を生んだりしてしまいかねません。
「1」足す「1」は「2」ですが、それを、1+1=2だと「教える」時に、「なんでこんなこともわからないの!」とか、「正解できなければ愛さない」とか、どれだけ正しいことを「教える」としても、教え方に害がある場合は、全体では害になります。
文系っぽい「公式」のようなもので表すと、
(1+1)×(「ー100」の害のある教え方)=―200
という感じかもしれません。
どれだけ、(1+1)が2の部分だけが正しかったとしても、1+1=2を教育して向かう先が、ネガティブでは快適な状態だと、そもそも、何のために正しいことを指導して、その結果、どう人生にポジティブな影響を及ぼすのかというところまで、親としては考えておくべきかと思われます。
毒親の中には、「正しいことを言っている」「正しいことを教えてやっている」という正当化で、そこに虐待や負の影響を付帯させたりしてきます。
つまり、
(1+1)×虐待=―200
で、毒親としては、(1+1)の部分だけしか認めない・自覚もないかもしれない・全体的な影響を理解しようとしない、という状況だったりしそうです。
(1+1)を教える際に、負の影響を及ぼす虐待などは必要ないにも関わらず、毒親が過去に子だった時に毒親の親からの虐待や負の影響による復讐心・不公平感を、時を経て、かつての「被害者」だったはずの子が毒親となって、子に復讐心や不公平感を正当化してぶつけ、歪んだ心のキズのケアの仕方になっているのかもしれません。
復讐心と不公平感に満たされた毒親は、時として、無自覚に、物事の認知が強烈に歪むがゆえに「悪意」はないままで、最悪のことを最悪のタイミングで行う嗅覚に優れてしまい、息を吸って吐くかのように、子にもっともらしい正当化で偽装しながら負の影響を与え続けることもあるようです。
「悪意なき(無自覚・自ら認知しない/しようとしない)害」が、非常にタチが悪いように思われます。
あるいは、毒親自身の精神疾患や精神障がいなどの症状である場合ですと、毒親にこそ医療ケアが必要なケースもあるかと思われます。
今の毒親が、過去に子として「毒親被害」を受けていたような場合や、幼少期からの家庭環境に難があった場合などは、毒親にもメンタルケアが必要でしょう。
医療機関の受診やカウンセリングなどを通じて、今の毒親がかつて子だった時の心のキズや孤独感や復讐心や不公平感などを、今の毒親が自ら癒したり過去の自分をハグしてあげられたりするように…。
健全な家庭関係・機能不全家族を脱するために必要な関係構築に、「正しいことを言っている」だけでは足りず、「どんな状況(TPO)で」「何を言って」「どんな付帯条件がついていたか」「どう言ったか」「拒否できたか」「拒否した後に何が起きたか」といったことも、しっかり整理して見つめ直す必要があります。
そして、そこには、経済的に豊かなのかそうでないのかは関係ありません。
富裕層やハイスペ親は、経済力や学力や社会的地位といった家庭内での優越的地位の濫用で、子に心理的虐待したり卑下してきたりする親もいます。
お金や物に豊かかどうかによらず、心が豊かかどうかが、毒親問題で重要なところです。
また、病院の待合室や飲み会での、ご高齢者さま同士に見受けられたりするような、「不健康自慢」みたいに、どっちが毒親でより不幸かマシだったか、ということが重要なのではありません。
どちらがどうあれ、毒親問題によって、子は等しく心身を傷つけられたり、未来を閉ざされたり、苦しみ悩みつらい思いをすることがあるのです。
◆ 「正しいことを言っているから従え」といった主張は、人権侵害の免罪符ではありません。
◆「正しいこと」を言っている部分、それに「付帯して起こっている」こと、そして、それらを通じて、「全体としてどんな影響」が出ているか、それぞれ分けて整理して見つめ直してみると良さそうです。
◆ 今日の一歩: 最近心に残った親子の出来事を1つ、「誰が悪いか」「何が正しいか」よりも、「どんな状況で/何が起きたか/その結果、どんな影響があったか/どうなれば親も子もより幸せになれそうか」を、書き出してみましょう。



