『がんと心のリゾート: がん患者のメンタルケアと闘病を支援する家族の視点』

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第6章 支える家族の心も揺れている

1 夫だから強いわけではない

 私は、たまたま、妻の心のケアをしたりサポートしたりする側でした。
 でも、夫だから、支える側だから、無条件に心が強いわけではありません。
 ましてや、過去のうつ病・パニック障がいの再発予防で、私の心療内科の主治医と相談して、最低量ながらも服薬を継続しています。
 妻の調子が大きく崩れたとき、私も不安になることはあります。
 仕事を止めなければならないこともありました。
 夜遅くまで、あるいは、深夜や早朝でも、妻のそばでお話カウンセリングでお話しを聞いたりお話ししたり、翌朝は、息子を送り出したり、そんな中でも、自分の仕事をこなしたり、病院への送迎をしたり、「おうち入院」は、ソフトな言葉ですが、いろいろとサポート側にもハードな状況は訪れます。
 そんな睡眠不足で疲労もたまって不安にもなる日が続けば、当然、私自身の心身も疲れます。
 「おうち入院カルテ」の記録の中には、私自身が精神的にもギリギリで、セルフ・カウンセリングもフル活用で、妻のお昼寝中や仮眠中や少し調子がいい時など、すきま時間があれば、5分でも10分でも横になって休んだり(野球の盗塁ではないですが、すきあらば「盗眠」する、みたいな感じ)、日中ベッドで動けなくなる寸前で横になるしかなかった日もおりました。
 「おうち入院」の「院長」として、仮に私のすべてを失ったとしても、妻の回復に全振りしようと決めた以上、私が倒れたら、家族全体が立ち行かなくなります。

 支える人も、できるだけ休んだ方がいいように思います。

 共倒れでは、支えられている側の家族もつらい思いをしそうです。

 これは、頭ではわかっていても、なかなか実行するのが難しい感じはしました。


2 支える私にも当事者経験からの教訓があった

 私自身、過去に、国連の激務の中でうつ病・パニック障がいを罹患し、寛解後も私の主治医に相談しながら、予防的な服薬をしたり、自分自身の身を「実験台」ではありませんが、自分で自分を分析して、「こんな時はこうしておいた方が良さそうだ」とか、自分で自分をカウンセリングできるようにあれこれ試行錯誤してみたり、物事や出来事への認知を変えて心のダメージを最小限にしたり、一見してネガティブに見えそうな物事や出来事のポジティブに活かせる要素を見出すようにしてみたり、あれこれと手探りで心のケアを続けてきました。
 毒親問題は別の場でまとめておきましたが、私の心が苦しい時には、家庭内で誰も私の心をケアしてくれなかったり、逆に、足手まといな人間は切り捨てようとか、心のケアが必要な時にとどめを刺されたりするような家庭環境でしたので、自分の身だけでなく、自分の心も、自分で癒したり守ったりしなければ、とっくの昔に私は人生を「卒業」していたことと思います。
 ある意味で、自分で自分の心を守る英才教育なのかも…?
 気合や根性だけで心の不調を押し切ろうとしたり、相手のことを尊重も理解しようともせず突き放したり、逆に、余計に苦しくなるような、良かれと思ってのことであっても、安易な叱咤激励などが、どれほど当事者の心を苦しめることになるかなど、実体験としても皮膚感覚というか身に染みて分かるところがありました。
 もちろん、私のうつ病・パニック障がいの当事者経験と、妻の状況は完全に同じなわけではありません。
 診断名も症状も置かれた状況もみんな違います。

 それでも、何かしようと思っても、

 動き出すための「心のスイッチON」が、超巨大で重量挙げくらいに重くてなかなか上げられないスイッチのように、

 「メール一通を読むのもしんどい」

 「入浴しようとするだけでも、心のエネルギーが消耗する」

 「何もしていないように見える時間にも、本人の心の中では、必死に耐えていることがある」

 といったような感覚は、「おうち入院」で妻と接する際に、当事者経験の教訓や実体験からのヒントとして、多少なりとも参考になったように思います。
 支える側だから常に強くあらねばならない、とも思いませんでした。自分がしんどい日は休む。家族に頼る。医療機関や支援団体などにも相談していい。支援する側も、①ムリなく、②ムダなく、③長続きする、④理にかなった、⑤お互いに幸せになりあう取り組みという「サステイナブル」でなければ、「おうち入院」も寄り添いも伴走は長続きしにくいかもしれません。


3 家族は「チーム」

 おうち入院カルテをもとに――ハンバーグ、洗濯物、寝かしつけ
 妻の調子が落ちた日は、夕食を母(実母)に協力をお願いしてみたりして、炊飯器のセットは私、洗濯物は息子と私、食卓の準備は私と母、洗い物は母――という具合に、その日にできる人ができる範囲で分担してみたりしました。誰か一人が「全部やる」ことを目指すのではなく、家庭という小さな組織が、生活を止めないように仕事を組み替えたり…。家庭における臨機応変なBCP(災害対策などでの事業継続計画)のような感じかもしれません。ただ、家族みんなが感染や発熱でダウンするような際は、「院長」の私が、できるかどうかではなく「全てやる」ことで、生活が回らなくなるような危機を乗り越えたりする時も…。解熱鎮痛剤には、私はかなりお世話になってしまいました。これは私以外には一切お勧めできないことですが…。
 私自身も、入浴はあきらめて、翌日に学校のある息子の寝かしつけを優先したり、私がやりたいことだけでなく、やらなければ仕事上で結構しんどくなりそうなことも先送りしたりもしながら、何とか歩んできたような感じです。
 完璧な家事ではなく、家族みんながなるべく穏やかに一日を終えられるよう、家族の心を最優先にした家事に徹してみたりしていました。
 おかげさまで、東京での一人暮らしも留学先での一人暮らしも経験しており、新婚の頃から、妻と家事や育児を分担というか、固定した分担ではなく、妻か私のどちらかができること・気づいたこと・見かけたことなどを、臨機応変に分担していく感じで、ワンオペ状態にならないようにしてきました。
 そして、いざ家族に何かあったら、私が、炊事・洗濯・掃除・育児・地域社会のやりとりなど、一通り全部こなせるようにはして備えていました。

 私がお米を研いで炊飯器をセットする。

 息子が洗濯物を干すのを手伝ってくれる日もある。

 余力のある家族が夕食づくりをする。

 妃美ちゃんができる日は、無理のない範囲でやってもらう。

 「誰が何をするか」は、特に固定しているわけではありません。

 その日の体調や、心身の負荷で、臨機応変に変えていい。

 お互いにサッとカバーしあう。

 家族を会社のように見る必要はありませんが、危機管理の仕事をしてきた私には、「一人に負荷を集中させない」「代替手段を用意して備える」「無理なら心を最優先にしてパスしてみる」といった考え方を自然なこととして過ごしてきた感じです。

 家庭にもBCP(災害対策などの事業継続計画)のような発想があっていい。

 家族の誰かが動けないとき、別の誰かがサッと補う。

 それは「迷惑をかける」ことではなく、家族がチームとして連携して、柔軟で正常に機能することだと思います。


4 息子の生活を守る

 妻の自宅療養を「おうち入院」としてサポートする際に、その「おうち」には、妻だけではなく、当時は小学校に通っていた息子もいます。

 病院での入院と「おうち入院」の大きな違いがあります。

 病院では医療に特化した環境で患者さんのケアをすることに専念すれば良いのかもしれません。

 しかし、「おうち入院」は、「おうち」にいる患者さん以外の家族のケアも大切になってきます。

 消化器外科の病棟で妻がメンタル不調になった際に、病棟の看護師さんがどう接したらいいか少し戸惑っていたシーンも見かけました。
 精神科病棟での医療に習熟した医師・看護スタッフの方々でなければ、多かれ少なかれ、誰でも戸惑いが出たりどう対応していいかわからなくなったりしても自然なことでしょう。
 私はメンタル不調の当事者経験があるおかげで、妻の心の不調や病状を目にしてもそれほどあわてずに済んでいました。
 ただ、同じ「おうち入院」の家庭にいる息子は、初めて目にする今までと違った母親(妻)の様子に、戸惑ったりどうしてもあわてたりしても、ごく当然のことかもしれません。

 「おうち入院」の「院長」として、妻の心が不安定なときほど、息子に妻の心の状況や、どう接したり対応したりしていくと良さそうかをお話しするようにしています。

 また、息子が何か疑問に思うことがあれば、遠慮せずに聞いてもらいながら、息子の日常もしっかり守れるようにすることを意識しました。
 「おうち入院」で身近な大切な存在を通じて、息子には、多様性の尊重と公平公正な受け入れあいを、日常レベルで感じ取ってもらえるようにしています。

 朝起きる。

 朝食をとる。

 吹奏楽部の朝練に行く。(小学校に吹奏楽部がありました)

 学校へ行く。

 帰宅してゴロンとする。

 好きなことをする。

 ママの調子が良い時もイマイチな時もある。

 ママが笑う・泣く・叫んだりもすることもある。

 でも、それでいて、みんな一緒にそばにいる。

 猫カフェに行ってネコさんとたわむれる。

 寝る前の「パパとのお話しタイム」で息子が相談してくる。

 今どんな状況で、これからどうすればいいか、お話しする。

 少しずつ、息子なりに、いろんな理解力・包容力がつく。

 「ママの病気のために、子が楽しいことをしてはいけない」と、制約や過剰に遠慮するといったことがないように、「おうち入院」では、息子の育児も息子の心のケアも大切にしています。
 その一方で、「おうち」の大切なメンバーとして、息子にも家族の一員として、息子がムリなくできることを、ちょっとした役割分担で手伝ってもらうこともあります。
 「子どもは何も知らなくていい・蚊帳の外でいい」でもなく、「家族なんだから何かやって当然だろ」でもありません。
 年齢や息子の心身の成長に合った形で、同じ人間同士の家族・仲間として、そばにいて一緒に暮らす。
家庭内での人権尊重や、多様性の尊重と公平公正な受け入れあいも、「おうち入院」で大切なポイントだと思います。


5 「そばにいる」だけの日があっていい

 支える側の限界も、隠しすぎない

 私は仕事柄、危機管理やレジリエンス(ダメージを最小にして、早く元の状態に復旧し、次に備えて備えを積み増しながら、粘り強く立て直す力・立ち直る力)の指導もします。
 家庭の大変な状況でも、同じように、心身・損害・損傷などのダメージ最小化、早い復旧、次への備えを意識して、「おうち入院」でサポートしています。
 妻や息子の心のダメ―ジや動揺などを最小限にして早く安定してもらえるよう、家族の前では平気な顔をしながら、自分自身は結構ギリギリという日もあったりします。
 ただ、支える側が倒れれば、支援そのものが続かない(サステイナブルではない)状態になりかねません。
 「サステイナブル」は環境問題だけの言葉ではない。私にとっては、①ムリなく、②ムダなく、③長続きし、④理にかなって、⑤お互いに幸せになりあえる取り組み。「おうち入院」での家族のケアにも、この5つが大切。

 毎日のように、何度も何時間もお話しカウンセリングをしたからといって、絶対に妻の調子が良くなるとか、一気に好転するという保証はありません。

 支えるということは、「支えてやっている」のではありません。

 支えるという家族の役割を果たすことを通じて、人との寄り添い方・相手の尊重の仕方・多様性の受け入れ方など、人としての成長と学びの機会を得ています。

 実際、妻がお話しカウンセリングの際に、「ともちゃんは、私のケアで、どんどん人格が磨かれていくね~」と、急に、哲学的なお話しをしてくれたことがありました。
 支えることは、上下や勝ち負けではなく、同じ人権ある人間同士が、お互いに幸せになりあう取り組みだと思います。
 その度に、改めて、「おうち入院」の「院長」として、日々、学びを大切にしようと思ったりしました。
 ただ、そうはいっても、「何かしてあげなくては」と焦りそうになっても、どうしようもなく疲れている日もあります。

 そんな日は、

 「今日は、そっと、そばにいるだけでいい」

 と良い意味での割り切りで、何をするでもなく、一緒にお昼寝をしてもいいし、一緒におやつを食べるでもいいし、一緒にそばにいるという、省エネモードでの寄り添いもしました。

 同じソファーに座る。

 温かい飲み物を一緒に飲む。

 泣きたい時には、泣きたいだけ泣けるよう見守る。

 あまり話が進まないなら、ただ、そっと、そばにいる。

 何かやってみたい思いが心の内側から湧いてきたら、そっと見守り、受け入れ、介入は最小限にしてみる。

 などなど。

 「家族のサポートなんだから、何かしなくちゃ」といって、何が何でもサポートの押し売りをするのは、サポートをする側の自己満足や身勝手かもしれません。
 場合によっては、「何もせず、かといって、突き放さず、ただ、そっと、そばで微笑ましく見守る」ということが一番いいケースもあります。
 家庭内でも社会でも職場でも、同じ人間同士の関わりが、「カサカサ」でも「ベットリ」でもなく、「しっとり」した関係を築けるといいかもなぁ~、と思ったりします。