『がんと心のリゾート: がん患者のメンタルケアと闘病を支援する家族の視点』

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第7章 夫婦で見つけた「心のリゾート」

1 妻が大学卒業という大きな節目を迎える

 おうち入院カルテをもとに――「閉じ込めない」回復
 大学の卒業を目指すことは、妻にとって大きな張り合いのようでした。私は、心配だからといって妻を家の中に閉じ込めたくはありませんでした。また、女性の高等教育(大学等)へのアクセスを高めたり邪魔せず応援したりすることは、世界的にも、社会人権問題の解決として大切です。勤務を急ぐのか、学習に専念するのか。どちらにも絶対の正解はありません。心理的な「負荷」と、やりがいや誇りがもたらす「プラスの効果」を見比べながら、総合的にみてどれが最適な選択かを思案しながら、少しずつ回復の階段を上れる形を探してみました。
もともとの記録には、「富めるときも病める時も、健やかなる時も貧しき時も、チャペルで誓った愛を、単なる儀式のセリフではなく日常生活で活かす言葉として」と記しています。キリスト教徒でもないのにチャペルでの挙式って、ザ・日本人という感じもしますが、どの宗教であれ、役立ち参考になるフレーズは柔軟に活かせればと思ったりもします。妻の大学卒業は、妻だけの学業上の節目ではなく、家族にとっても、「がんになってもあきらめなかった回復への歩み」の証だったように思います。

 おうち入院の途中で、妻にはもう一つの挑戦がありました。

 がん発見前に社会人編入していた4年制大学(コロナ渦中にて通信制)の卒業・学士号の修了です。
がんの手術と心の療養のさなかでも、お休み期間もはさみながらも、妻は学びを続けていました。
 最終試験やレポートを前に、不安が強くなることもありました。
 「おうち入院」では、「院長」だけでなく、大学での学びの「チューター」としても支えてみたりしました。
というか、「上から教える」とかでなく、「これってどうしたらいいんだろうかね~?」などと、一緒に考えながら、妻が自分で「答え」を見つけるお手伝いや伴走ですが…。
 妻は、心の状態に応じてムリの無い範囲で、少しずつ課題もこなし、全単位を取得して学位記(学士号)が届きました。
 赤飯を炊き、お刺身を用意して、家族でお祝いしました。
 私はこの出来事を、「病気なのに卒業したから偉い」という感じでとらえたいわけではありません。
 妻が内発的な心の動きに沿って、「自分でやりたくて選んだことを、妻のペースで心の状態と向き合いながら、最後までやり遂げることができた」ということが重要だったと思います。

 「無理やりやらせるのではなく、自然とできる状況を整える」

 とは、世界人権宣言や国際人権規約の底流に流れる重要なメッセージですが、「おうち入院」も同様かもしれません。
 回復は、単に、「何かができるようになる」こととは少し違うかもしれません。
 内発的に、自然と、「自分で選んで、自分で取り組めるようになる」ことの方が、より重要なのではないかと思います。


2 夢の国の「魔法」と心の栄養

 おうち入院カルテをもとに――「また行きたい」が自然と…
 ある日、妻が「またディズニーシーに行きたいなぁ」と自分から話してくれました。私は、その言葉が嬉しかったです。予定をこなせるかどうかより、「行きたい」「見たい」「作りたい」と、内側から自然な欲求が生まれることそのものが、心の回復のサインのように感じられました。

 「楽しいこと」は必ずしも治療につながるとは限りません。

 しかし、人は不安だけを見つめ続けて元気になるわけでもありません。

 ワクワクするもの、自然と表情がゆるむもの、未来の楽しみとして想像できるもの…。

 そうした「心の栄養」を、私は、できるだけ応援したいと思っています。

 妻の調子が少し戻ってくると、私たちは旅行や外出を「心のリハビリ」として取り入れました。
 ディズニーシーに行ったとき、妻には、「夢の国の魔法」がかかったような感じでした。

 妻とのお話しカウンセリングで、

 「妃美ちゃん、ぼくが魔法使いだったら、心の苦しみを魔法で消し去ってあげられるのに、魔法使いでなくてごめんね~」

 とお話ししていたりしましたが、

 「心にかかる魔法」は、

 ワクワクする物事や出来事にひょっこり潜んでいるかもしれません。

 妻が病気のことばかり考えている時間から離れて、「楽しい」「きれい」「かわいい」「おいしい」「また来たい」と思える時間は、確かに人をポジティブに導いてくれるようです。

 妻がSNS動画でみて気に入り、和歌山のアドベンチャーランドにパンダを見に行ったり…。

 ホテルでゆっくりしたり…。

 プールや温泉へ行ったり…。

 私はこれを「心のリハビリ」として、家族も一緒に楽しみながら、楽し気な「おうち」の中で、妻の心のケアや、外出時の心のリハビリなどになればと、いろいろやってみました。
 「おうち入院」では、楽しいことも、妻も家族も一緒に楽しめばいいよね、お互いに幸せになりあえるってことかもね、などと思ったりしながら…。
 家事や日常の荷物をいったんおろして、いつもと違う景色の中で、自分の心を解き放つひとときを設けてみました。
 おうち入院カルテをもとに 退院後の翌年2月ごろ
 血液検査で良好な結果を聞いたころ、妻は久しぶりに「ディズニーシーに行きたい」と自分から言い出しました。以前は、「ちゃんと行けるかな」「途中で取り乱したらどうしよう」と、不安が先に立っていたのに、この時は、行きたい場所、着ていく服、回りたいアトラクションを楽しそうに考えていました。

「今度、ディズニーに行きたい」

 私はこの変化が嬉しくて、待ち時間による心身の負担をできるだけ減らすため優先チケットを手配し、直営ホテルも使い、疲れたら休めるように予定を組みました。回復とは「できることの数」が増えるだけでなく、「やれるかどうか不安」な心の状態から、自然と「やってみたい」という思いが、ムリなく心の内側から自然と戻ってくることでもあるのだと感じた場面です。


3 「心のカイロプラクティック」

 戸村流の比喩――心のズレを少しだけ整える
 身体の骨格を力ずくで押さえつけるのではなく、少し位置を整えて本来の動きに戻す。
 そんなイメージから、私は「心のカイロプラクティック」として、妻のネガティブ過ぎる物事のとらえ方を、やんわりとソフトにポジティブな方向にお導きしていたりします。
 説教などではなく、妻の言葉を聞きながら、表情を読み取りながら、自分を責める方向へ傾いた心を、中立に戻していく…。

 「あなたは間違っている」

 ではなく、

 「こんな違った物事の見方もあるよ」

 「これって、こんな良い面もあるかも」

 「それって、実は、いいことかもしれないよ」

 などと、心に「~かもしれない」し、「~かもしれない」といった選択肢を増やしてもらえるようにしてみました。
 「画一的な思い込み」の対極にありそうなのは、「多様な可能性」なのではないかと思います。
多様性の尊重って、理想論ではなく、心をのびのび解放したり、あるがままにイキイキとする秘訣ではないかと思います。
 妻の「心のゆがみ」のポイントを読み解いて、そっと、心に手を添えて、「心のカイロプラクティック」したりします。

 身体が凝ると、痛みでつらかったりしますよね。

 心も同じように、一つの考え方へ凝り固まるとしんどい…。

 妻がそんな時には、お話しカウンセリングとあわせて、「心のカイロプラクティック」として、妻の心をほぐしてみるようにしています。

 「今日は何もできなかった」

 ではなく、

 「今日は休む判断ができた」

 と、ちゃんとできたことを喜ぶ。

 「薬を飲んだから弱い」

 ではなく、

 「お薬をアシスタントさんとして支援をお願いできた」

 と、ちゃんとできたことを喜ぶ。

 「予定をキャンセルしてしまった」

 ではなく、

 「心の状態に合わせて、予定を「引き算」できた」

 と、ちゃんとできたことを喜ぶ。

 事実をごまかしたり、根拠のない賛辞を贈ったりするわけではありません。
 1つの事実の中に、別の物事の見方がないかを、文末に「~かもしれない」をつけて、一緒に見つめ直すだけです。

 妻が少しずつ、

 「今の心の不調は、周りと比べすぎることや、自分の軸を持てていないこととも関係しているかもしれない」

 と、自分の心を客観的に眺められるようになった時期がありました。

 私は、妻が、「心の重心」のバランス感覚がとれるようになってきたのかもしれない、と感じました。

 プラスでもマイナスでもない、ニュートラルな感覚。

 まず、思い込みや心の歪みを開放して、ニュートラルに…。

 そこから、自分が心の内側から湧き出る思いに沿って、ポジティブな方向に、スッと、足を踏み出してみる。
回復が進むにつれて、妻は「自分の心さん」と付き合うのが、少しずつ上手になっていったように見えました。

 寄せては返す波のように、アップダウンはごく自然。

 でも、ちゃんと、全体的には回復に向けて進めている。

 妻も、家族も、回復への歩みをちゃんと信じられるように…。

 少しずつ、ムリせず、毎日を積み重ねる…。

【夫の余談:心の負荷を「心の器」と「身体の器」に分散?】
 そういう私こそが、「自分の心さん」と付き合い上手ならいいのですが…。
 自分が「自分の心さん」と向き合うのって、なかなか難しい面はありますよね…。
 私の方は、セルフ・カウンセリングや自主的な認知行動療法などもフル活用してみたりしています。
 私以外には一切お勧めしませんが、体に心の負荷を逃がす(ある種、心因性の身体症状に転嫁するみたいな感じ)など、究極の状態でもギリギリ持ちこたえるようにしていたりします。
 ふと、私が中学校で生徒会の会長をしていた際、卒業式の送辞でスピーチした時のことを思い出しました。
 大勢の前で、マイクを通して話す際、足が少し震えていたのですが、その状態を自分で感じながらも、
 「震えるのは足さんに任せて、頭と心は冷静になればいい」
 と、あるがままに震えを放置し、不思議と、プレッシャーへの反応は身体に任せて、頭と心はクリアにパワフルに、という、「心の負荷の分散」ができた感じがしました。
 「心の負荷」を、「心の器」だけでなく、「身体という器」にも分散することで、究極的な状況のサバイバル的に、なんとなく受け止めたり受け流したりしている感覚があります。
 その分、身体の凝りがバキバキで、20代の頃から、こまめに指圧や整体に通っていたりしますが…。
 なんとなく、究極的な状況でも、プレッシャーへの耐性がついたような感じがしました(医学的に良いことかどうかわかりませんが、サバイバル的にはそうでした)。
 いわゆる「毒親」問題や、公私ともにいろんな窮地や瀬戸際に直面させられながらも、とりあえず、心と頭をクリアに保ちながら、なんとか生きてこれているような気もします。
 ただ、繰り返しますが、これは私の勝手なお話しなので、私以外の人には一切お勧めしません。
 医学的な良し悪しなども含め、心療内科や精神科の医師やちゃんとしたカウンセラーさんなどにご相談の上で、自分の心さんとの向き合い方を工夫してみてもらえればと思います。


4 人生は勝ち負けではない

 おうち入院カルテをもとに――Love Yourself
 妻は、がんになった自分と、元気に生活している周囲の人を比べ、「人生に負けた」ような気持ちを長く抱えていました。私は、人生は勝ち負けでも優劣でもないよとソフトに繰り返しお話ししてみたりしています。BTSが好き(アーミー)な妻には、「Love Yourselfだよ~」とも話してみたり…。

 「こうじゃなきゃダメ」

 「こうすべきなのに、こうできていないからダメ」

 と、自分で自分を突き放すのではなく、自分自身をやさしくハグするって大切だと思います。

 回復の後半で、私たちが向き合っていたのは病名だけではなく、「自分を大切にするとはどういうことか」という問いだったようにも思います。
 妻ががんになった後、妻は周りの元気な人を見て、「人生に負けた」と感じることがあったようです。

 病気になる前に、ごく簡単にできていたことができない…。

 他人の、働き・遊び・旅行するキラキラ姿を見て落ち込む。

 自分だけ取り残されたように感じる…。

 その感覚は、

 「比べなくていいよ」

 と言うだけで消えてくれるものなら、お薬も医師もいらないくらい、楽なのになぁ~と思ったりします。

 退院後、しばらくは、キラキラ姿にあてられて、妻は何度も落ち込んだり、自責の念にかられたりしていました。
 しかし、「おうち入院」での療養を通じて、妻が少しずつ、

 「人生は、勝ち負けや、優劣ではない」

 と自然と感じてくれるようになりました。

 自分を好きになる。

 自分らしさを大切にする。

 自分が好きなこと、愛することをする。

 あるがままの自分を受け入れる。

 ありのままに生きていく。(後に妻が作成することにした闘病イラスト冊子のタイトルが、「おうち入院」の中で芽生えたようです。)

 私は、その

「あるがままの心の居場所」

 が、

 「心のリゾート」

 なのかもしれないと思ったりしています。

 「リゾート」というと、海やホテルを思い浮かべがちですが、「心のリゾート」は、どこか遠くに行かなければ存在しないものではありません。
 英単語の「resort」の意味としては、「行楽地」や「人が集うところ」といった意味とともに、「(最後の手段として)頼ること・頼りにする人」といった意味もあるようです。

 「ここでは、何もムリをしなくていい」

 「ここでは、自分を責めなくていい」

 「ここでは、弱っている時の自分も追い出されたりしない」

 「ここでは、頼れる人がいる」

 「ここでは、ありのままに生きて行ける」

 そう思える場所が、「心のリゾート」なのだと思います