がんとメンタル不調の闘病記


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【ページ①】「おうち入院」スマホ手記

大腸がん・メンタル不調の「おうち入院」スマホ手記 ~39歳で大腸がんになった看護師の妻を支える一児の夫の家族目線の闘病記~

執筆・「おうち入院」の「院長」: 日本マネジメント総合研究所合同会社 理事長 「がんと心のリゾート」執事 戸村智憲

「おうち入院」および「がんと心のリゾート」などは(C)戸村智憲です。


「おうち入院」スマホ手記の時系列での「がん闘病・メンタルヘルス療養のあるがまま」

① 1年半前に大腸内視鏡検査を受診して問題なし判定から、その1年半後にはっきりわかる大腸がん発見からの入院・手術へ


【前触れ~1年半後の突然のがん告知】

 2022年4月に大腸がんが発覚・2022年5月に手術するまでには、こんな前兆がありました。

 排泄時に出血があり、コロナ渦中でもあったため、外出せずにできる検査として、指先の血液を採って専用の機器で送ってがん検査(腫瘍マーカー)ができるものを、夫婦ともにお試ししていました。

 すると、大腸がんに関係する腫瘍マーカーの値は、夫の私は正常値でしたが、妻は中程度の数値が出ており、この時点でいろんな医療現場で大変な症例を見てきた看護師の妻は、自分の身に大変なことが起きているに違いないと、恐怖心を募らせていました。

 そのころ、妻は心配になって、いろいろ医療機関に受診(コロナ渦中でもあり私が車で乗せて行っての受診)していて、私にお医者さんばっかり行ってごめんね、とのことでしたが、気になることはしっかり調べてもらっとうこうね~、と、肛門科や大腸内視鏡検査や婦人科など、いろいろと医療機関に受診しておりました。

 いずれもがんではないものとのことで、検査は2年先くらいで大丈夫とのことでしたが、妻が排泄時の出血もまだあって気になっていて、とりあえず2年ほど先に検査予約を入れていたところ、たまたま検査の順番が早めに対応してもらえることになり、2022年4月に妻を車に乗せて検査に行って画面を見ながら検査を受けていた際、検査中の画面を見ていた妻が、非常に気になる画像が見えたとのこと。

 その場ですぐ検査結果を伝えてもらうようお医者さんにお願いすると、検査の麻酔の関係もあり、「ご家族を呼んで下さい」とのことで、すぐ近くのコインパーキングで待機していた私が妻の元へ行くことになりました。

 その時の私の正直な感想は、「麻酔の影響で健忘などが出ることもあるようだし、ちゃんと伝えるために家族が呼ばれたのかなぁ~、まぁ、健康自慢の妻だからどっきりサプライズ的なオチがあるのだろうか」などと、非常にのんきに病院の自動ドアをくぐった記憶がよみがえります。

 診察室に私も呼ばれて画像をみたところ、医療従事者ではない私でもわかるような、はっきりとした塊が画像で見えて、ほどなく、お医者さんから大腸がんであることと、大学病院にすぐ紹介状を書くので、週明けの月曜日にでも行って下さい(検査結果を聞いたのが検査当日の金曜日午後)とのことでした。

 帰路につく妻と私は、車の中で涙を流し妻は叫びながら、私はどんな言葉をかけて良いか途方に暮れて、一緒にそばにいてなぐさめることしかできず、早く月曜日になって大学病院で対応してもらいたい、との思いで、長い週末に感じられました。

【朝一番に大学病院へ向かう~入院の当日の出来事】

 妻が看護師ということもあり、病院側の状況もある程度は理解していたことから、①紹介状をもって大学病院に行く際は朝一番に行く、②必要ならすぐその日に一気に検査もできるように朝食はとらずに行く、というポイントに沿って、いまだやまぬコロナ渦中にマスクをつけて夫婦で朝一番に車で大学病院へ向かいました。

 実際に紹介状を持って大学病院に向かうと、同じように紹介状を持って早々とお越しになった他の患者さんがたくさん並んでいらして、じれったい思いと圧倒的な不安の中、会話やなぐさめや涙をふいてあげることなど以外は、ただ、順番がくるのを待つしかできなかった状態でした。

 病院の受付後も、診察室の前の待合室で長く待っていて、不安で押しつぶされそうになりながらも、また順番の番号になるまでひたすら待つ以外に何もできることはない無力感と、もし、妻が助からなかったらと思うと、繰り返し映画の悲劇のシーンが頭の中で流れそうになるのを、頭の中で必死にかき消すことの繰り返しと、今はがんは助かる病気だ、というエンドロールを頭の中に流し続けて少し落ち着くような状態でした。

 いざ、順番がきて診察室に入り、紹介状・医療上のデータをみて、おおよその見立てを聞き、できるだけ早めに対応しておく方が良いことと、たしか、「大腸がんは切除することに意味のある病気で最悪の状態ではない」旨のお話しをして下さったと記憶しています。

 また、消化器の外科の主治医となって頂いたお医者さんと、二人制でペアを組んでお話し下さったもうひとりのお医者さんからは、その日にすぐ検査しておきましょうということと、朝食を抜いてきたのは非常に良い判断で検査を一気に進めやすいです、との旨のお話しがありました。

 絶望の海で重苦しく息継ぎするような、検査から検査へのせっせとベルトコンベアーに乗ったような感じで、次々に検査をこなし、その日の夕刻ごろに再び診察室の前の待合室で、永遠に順番がこないのではないかと錯覚しそうなほど、繰り返し押し寄せる不安と恐怖をなだめながら、ひたすら順番が呼ばれるのを待っていました。

 妻と待合室で祈るように待つ中で、どうか、がんのステージが早めの段階でとどまっていてくれ、どうか、手術適用で妻からがんを不安を切除してくれ、どうか、妻が助かるならお金も家も仕事もすべて失って構わないから助けてくれ、と何度も天に地に思いを祈りながら、やっと順番が呼ばれて診察室に入りました。

 その時のことも今でも鮮明に覚えていますが、主治医の先生から、手術で対応できますよ、との一言を聞いた瞬間に、妻も私も同時に堰を切ったように涙が流れてきて、検査結果時点での大まかに見立てとして、5年生存率が比較的高めになりそうだとのことを聞き、緊張と不安とそれらをなだめる神経がすべて脱力したような感じでした。

 妻はサッとお医者さんにお願いして、不安で眠れないので軽めでいいので睡眠剤を出しておいてもらうようにして、念のため眠剤をもらっておきました。

 サッと入院と手術の日程を電子カルテと一体の予約システムに入力頂き、必要な書類なども頂いて、入院時の説明や相談の窓口に案内頂き、長く待った後に急にあわただしく物事が動き始め、ジェットコースターに乗ったようなふわふわと地に足のつかない病院デーを終えて、夫婦そろって車で帰路につきました。

 永遠のように感じられるほど長く待合室で待ったかわりに、不幸中の幸いというか、非常にテキパキと段取りして頂き、がん発覚から2週間後(コロナ渦中にて2週間は新型コロナウイルス感染症に感染しないよう自宅待機・安全策をとる待機状態)に、大学病院での入院とその翌日に手術の予定となりました。

 自宅での待機すらもどかしく、1日でも早く妻の手術をしてほしいと思いつつ、コロナ渦中なのですぐ入院も難しいし、なかなか手術をしてもらえず1か月や2か月待つケースもあると聞くし、なにより、手術で助かる確率がはっきりと数値で示されたことで、重苦しい空気の中に一筋の差し込む光を見た思いでした。

 2週間の自宅待機中に、その時、小学生の息子には、包み隠さず妻の病状や回復などの見込みをひとりの「小さな大人」として、言葉を選びかみくだきながらお話ししました。

 また、息子が妻の入院中に寂しい思いをしないよう、息子のサポートや心のケアも全面的に対応することや、幼いころの毎日の寝かしつけの時から習慣化している、寝る前のパパお話しタイム(幼いころは即興むかし話や即興おとぎ話などをしていましたが、今は息子の方がいろんなお話しをつくったり悩みの相談をしてくれたりしています)なども、手厚めに対応するようにしておりました。

 息子なりに母親の生命の危機に際して、ストレスもたまり不安で押しつぶされそうになるでしょうし、大丈夫な様子を装っていても寂しさや不安はあるでしょうから、なるべく息子の心の状況をよくみて、普段よりいろいろお話しをしたり、この機に図鑑で人体や病気やその回復など、理科の学びにもなりつつ客観的に妻の病状を理解できるよう努めておりました。

 ただ、妻が退院してしばらくたった後に、息子がひとりになったひとときに、妻のことが不安でふと涙していたことを聞き、今は早めに発見・手術・治療すれば治ると言われる「がん」という言葉も、やはり、息子にとって大きな言葉だったようでしたが、息子がメンタル不調などに至ることはなく過ごせたのは、少しホッとしているところです。

 しかし、その一方で、自宅待機中の妻に、少しずつわずかながらも、着実に新たな危機が迫っていたことは、うかつにもしっかり把握しきれておらず、夫として妻に申し訳ない思いがしています。

 妻は手術の道が見えたとはいえ、不安で眠れず、ついつい、あえて不安になるようなSNS投稿記事や動画などをあさるようにみており、入院までの2週間の最初の方は、落ち着かないなりになんとかギリギリ持ちこたえていたようでした。

 しかし、入院までの2週間の後半は、少しずつ、妻に次のような言動が見受けられ始めました。

①お金がないから手術ができないから入院をやめとくよ、とのこと(振り返れば、貧困妄想が出てきていたことがわかるエピソードかと思われます。お金の心配はないし高額医療費の手続きもあるから大丈夫といっても、なんとなく腑に落ちない感じの表情をしていました。)

次に、少し日がたって、またお金がない旨のお話しに加え、

②私のことを監視カメラで監視していない?とのこと(妄想が出始めている感じのエピソードかと思われます)

さらに、

③全部つながってるんだ、親とも近所の人とも、ともちゃん(私、智憲のことです)がつながって本当のことを隠してるんだ(疑問形ではなく、断定的な言い方・見方になってきているエピソードかと思われます。)

都度、ゆっくり時間をとって、ひとつずつ、声も表情も落ち着けて、妻にそんなことないよ~、大丈夫だよ~、手術して回復へ向かおうね~、といったことをお話ししておりました。

 手術後の入院期間中に、私の誕生日(4月は私の誕生月です)がくることもあり、妻が入院前日に私の誕生日ケーキを買ってきてくれて、バースデーソングを家族で手拍子で歌ってくれていたのですが、このあたりから、後で写真をよく見直すと、妻の表情がいつもの可愛い笑顔を失ってやや病的な表情(身体の痛みとかではなく心理的な負荷によるものと思われます)になっていたことに、後で気づくことになりました。

そこから、入院当日に病院に向かう車中では、

④車にも監視カメラがついていて私のことを録画してるに違いない、入院も手術もしないでこのまま家に帰る、といったお話し(現実と妄想の境目があるとすれば、かなり妄想の世界に入り込み始めている状態のエピソードかと思われます。)も出るようになり心理面の負荷が危惧される状態でした。

 病院の駐車場から、妻をなだめつつ入院の受付などの手続きを済ませ、妻を病院に丁重なお願いにもっとも深い心からのお辞儀をそえてお預けし、妻は消化器の外科の病棟に入って点滴などを受けつつ、消化器の外科の先生によるインフォームド・コンセントで手術の同意書にサインするのを待つばかりとなりました。

 やっと2週間のもどかしい自宅待機を終えて、入院して明日の手術を待つだけのはずが、思いもよらない状況に急転することとなりました。

 救急やオペ室なども担当してきた看護師の妻は、これまで、たくさんの患者さんの開腹された人体や、宇宙服のような術衣を着てのぞむ人工股関節置換手術なども経験し、患者さんにとりつけられた医療機器からの数多くのアラートや動作音を耳にしていたはずです。

 しかし、病室に入って横になった妻は、絶え間なく聞こえる医療機器のアラート音や動作音に不安がつのり、心理的にバランスを崩してしまっていたようでした。

 また長く待った後、ジェットコースターのようにテキパキと手術の説明や手術が進むに違いないと思っていたところ、私と共にインフォームド・コンセントのお話しを座って聞いていた妻が、手術を受けない・家に帰るといったお話しをしてスッとキャスター付きの点滴台を押しながら、自分の病室に戻っていってしまいました。

 今振り返ればもっと早めに妻の心理状態を前兆・予兆の段階で見抜いてあげていられれば良かったのですが、消化器の外科の先生も、同席していた私も、あとは目の前に広げられた数枚の書類に妻がサインするだけで明日に手術を受けられるものの、何か妻に異変が起こったことをはっきりわかり、手術は延期となり明日またお越しくださいとのことで、妻は病室に、私はひとり車で帰路につくこととなりました。

 妻の突飛に見える普段にない言動をみた院内スタッフの方に動揺の色が見えるなか、サッと手を挙げて下さったのは、心理的ケアをある程度は理解頂いている看護師さんで、消化器の外科の病棟ながら、できる限りの心理的ケアに努めて下さいました。

 その夜も、絶え間なく聞こえ続ける医療機器の機械音やアラートが妻に恐怖や不安を与えていたようで、いつもの自宅と異なる環境で妻は眠れずにいたようです。

 帰路につく車中で、さっきまで目の前にあった妻を救って下さる数枚の手術の同意書が、突然の強風で舞い散るように手元から飛び去っていくような感覚に襲われたり、夫としての無力感にさいなまれたりしながら、妻が早く手術を受けられればと祈る思いでやっと帰宅しました。

 そして、本来は手術の日である入院から一夜明けた朝、コロナ渦中で面会も非常に厳格な制約を受ける中、急遽、私が妻の病室に呼ばれることとなりました。

 病室のベッドの上に三角座り(おやま座り・体育座りなど)して、憔悴して表情も普段と異なりどんよりした妻の姿が目に飛び込んできました。

 少しして、精神科病棟から病棟長の先生・レジデントの名札をつけた先生方・スタッフの方など十数名の方が、さほど広くない妻の病室にベッドを取り巻くように集合されました。

 よほどつらくて心理的にバランスを崩したのか、その場で覚えている妻の発言としては、東日本大震災って本当にあったかどうかわからないじゃないですか、といった、明らかに客観的事実と異なる世界観のお話しが妻の口をついて出てきていました。

 精神科病棟の病棟長の先生からは、妻にやさしく話しかけて頂きながら、周りにスタンバイしていた医師の方々が、サッと妻の点滴に鎮静剤を手際よく注入頂き、妻に精神科病棟への「お引っ越し」が必要なこと、また、私にもその同意についてのお話しを頂きました。

 妻はよほど脳が過活動状態だったのか、最初の鎮静剤の点滴注入では一旦は落ち着きそうになりながら、私もいつも寄り添いながら妻の身体をトントンとするのを少しずつ弱めていきつつ、ハッと妻がまた話し出し、病棟長の先生と私で顔を見合わせつつ、何度かやさしくお話し・トントンとしつつトントンを弱めていく、という繰り返しをして、やっと妻が落ち着いてきてくれました。

 そこから、一旦、私は病室から出て待機となったのですが、すぐ、妻が「ともちゃんはどこなの?」としきりに尋ねていたようで、再び妻の病室に呼ばれて病室内にスタンバイし、ベッドごと、消化器の外科の病棟からベッドを動かし、連絡通路やエレベーターを乗りついで精神科病棟に一緒に移動していきました。

 移動途中に、少し落ち着いたものの、状況が変わった様子に驚いていたのか、妻が、いっぱい先生がいる、誰ですか、と聞いたりして、移動しながら病棟長の先生が丁寧にソフトに「医師の〇〇です」などと声をかけて頂きながら、不思議そうにする妻に病棟お引越しについて簡単にお話しして下さっていました。

 精神科病棟に移動してからは、妻は病棟の奥にある閉鎖病棟へスムーズにベッドごと移動してもらい、私はその病棟内の扉の前で少し待機した後、カンファレンス・ルームで待機となりました。

 妻の精神科の主治医となって頂いた病棟長の先生からは、病状はそれほど深刻・重篤なものではないものの、法令に沿った手続き上、一旦は閉鎖病棟への措置入院として様子をみること、また、がんのステージが進行するリスクを勘案して、なるべく早く手術を受けられるところまで回復へ向けて行けるように、消化器の外科の先生方とも連携を密にして全力を尽くして下さることなど、やさしく落ち着いてお話し下さいました。

 措置入院については、いろんな議論があり得る中ではありますが、精神科病棟で治療を受ければ良くなるのに、本人にその病状の自覚がないとか、希死念慮(死にたいという思い)と見受けられる話が出ていたりしたこともあり、措置入院の同意書にサインして治療を進めて頂くことになりました。

 私が知る限りでの妻の普段の様子のヒアリング(妻は急性一過性精神病性障がい(急性精神病)で、一時的に妄想などの症状が短期間でてしまったようですが、以前から長期間の精神疾患状態にあったかどうかなど、医療・治療上の判断材料となるよう、家族からのヒアリングをして下さったものと思われます。)がありました。

 妻の日頃やこれまでの様子を、変に足したり引いたりせず、あるがままに包み隠さずお話しし、そばについていらしたスタッフの方が電子カルテに、妻の治療や医療・治療上の判断材料として活かせるよう、余すところなくタイピングして記録して下さっていました。

 やや長くかかったヒアリングも終わったころ、妻が入院セットとして持ってきた荷物を消化器の外科の病棟から運んできてくださったスタッフさん(おそらく精神科病棟の看護師さん)が、一応、制度上の対応として、閉鎖病棟にとがったもの・割れてケガをしかねないもの・ひも状のものなど、持ち込み不可なものを私が立ち会っているところで分けて下さいました。

 意外だったのが、妻が病室で少しでもリラックスできるようにと持ってきていた、「ALOHA」という形の木工の壁掛け飾りが、「A」とか「H」の部分が木で堅くとがっているので一旦持帰っておきましょう、という判断となり、こんなものが持ち込み禁止となるんだなぁと、妙に感心した覚えがありました。

 ただでさえコロナ渦中で、外部からの面会者との接触が大幅に厳しく制限されていたのに加え、閉鎖病棟へのお引越しとなり、直接、顔を合わせての面会は退院近くなるまでできなかもなぁ~、と沈んでいたところ、主治医の先生からは次のようなお話しがありました。

 妻はそれほど精神面での状態が他の患者さんと比べて深刻ではないと見受けられることと、また、がんになったことのショックなどで脳が過活動していた分、まずはしっかり寝て心身を休め、音や来訪者や何かしなければならない状態から解放して、閉鎖病棟で集中的にケアして手術をなるべく早く受けられるようにしたい方針なのと、さらに、妻の状態がよくなれば病棟内でオンライン面会(コロナ渦中にて感染症対策のためでもあります)ができると思いますよ~、とのことでした。

 一応、決まりとして一時的ながらも眠剤などでふらふらしてベッドから落ちたりもしないよう、腰だけベルトをまかせてもらいますね~、とのことで、確かに、症状が重篤な方の場合は、そういったベルト等の拘束できるもので対応しないといけないこともあるのかもしれないなぁと思ったりはしました(人権上・医療上の様々な議論や課題などはあり得るところかと思われますが…)。

 ただ、妻の反応を聞いて私も病棟長の主治医の先生もズッコケそうになったのですが、主治医の先生が妻の様子を診察にいって、妻の気分などを訪ねたそうですが、妻はベッドでゆっくりしてたら、看護師さんが何でも全部やってくれて、お姫様のような気分です、とのことで、かなりレアな反応というか、私としては、そのお話しを聞いて、妻が意外と早くとりあえず手術を受けられるところまで心理的に持ち直してもらえそうだなぁと、実感したりしておりました。

【大学病院での様子(ここから主に家族へ報告したSMSの記録などに沿ってそのまま掲載)】

 おはようございます。

 昨日インフォームド・コンセント(IC)の後すぐにご報告したかったのですが、仕事上でのトラブル対応(こちらは悪くないのですが、言いがかりで裁判を起こされないよう至急の対応)、IC後に帰宅・夕食・ゆうちゃん(※息子の呼び名)とお風呂後に自宅ネット回線が故障・警備会社かけつけ・ネット通信会社さんとのやりとりなど、寝かしつけ後もなんだかんだで深夜3時までかかり、ご報告が遅れてすみませんでした。

 以下にメッセージ連投します。

2022年5月13日15:30~18:00@〇〇医大病院(精神科病棟)

【妃美ちゃんの病状と治療方針(精神科・〇〇先生より智憲に事前に説明あり:妃美ちゃん同席なし)】

 当初の急性期からは回復し、集中力・前向きな言動が戻ってきた感じ。

 まだ1日の中で時に不安定・ぼんやり、入院環境内でも些細な環境刺激にやや気持ち・体調が反応しやすい模様。

 精神科としては一過性の精神症状ととらえている一方で、もし、今後継続・症状の再燃して悪化するようなの場合には、統合失調症という診断になるかもしれないとのこと。

 急性期で精神科治療を優先せざるを得ない状況だったものの、今は逆に精神面にも身体面にも影響あるがんの手術を優先すべきと精神科として判断。

 術後は基本的に本人も望んでいる精神科病棟でケアしつつ、身体的な集中管理が必要な場合は精神科病棟から一時的に外科病棟に移って治療する場合もあり得るとのこと。

【妃美ちゃんの手術IC(消化器の外科・〇〇先生より妃美ちゃんと智憲の同席で説明あり・妃美ちゃんのご希望にて精神科の〇〇先生もご同席)】

 ロの字型の会議室形態で、手術前でもあり感染・精神的刺激を少しでも下げるため、智憲が奥・妃美ちゃんが病棟近くの入り口近くに離れてそれぞれに感染防止の衝立を立てて着席。

 看護師さんからも万が一に備え近づかないよう指示あり。

 衝立ごしに妃美ちゃんより「だいぶ元気になったでしょ~」と一言あったので、「そうだね~、安心したよ~」と一言かわす程度しかできず。

 腫瘍の大きさは変わっていない模様。〇〇先生にてホワイトボードで大腸の図解と病変のある位置などご説明があり、肛門から10~15cmのあたりのがんで、直腸がんで直腸を切ってつなぐ手術となるとのこと。

 ①深達度、②リンパ節転移、③血行性転移などの状況を慎重に見極めていかれる模様。

 手術して細胞の検査をしないと確定的ではないが、ステージ0・1・4ではないとみられるようで、各ステージの5年生存率についても解説あり。

 CT・MRIで見れる範囲では、転移らしきものはなく小さく映った影は良性とのこと。

 小さな肺結節がみられ、大丈夫と思われるものの念のため今後もフォローしてチェックしていかれる。

 術後1週間ほどで細胞の検査が出てくると思われ、その時点でステージ2か3かが確定する模様。

 ステージ3では抗がん剤6か月服用して小さな発見しきれないがんに備え、ステージ2では一般的に抗がん剤服用無しとなる傾向とのこと。

 がん病変部から3cmほどと病変部周辺のリンパ節などを切除、低位での切除となる場合は縫合してもくっつかない可能性が高く一時的に人工肛門を使用するが、高位での切除となる場合は逆に縫合してしっかりつくケースが圧倒的に多いため人工肛門は使用しないで済むかもしれない。

 開腹または腹腔鏡での手術についてメリット・デメリットの解説がありどちらも選択可能とのことで、妃美ちゃんのご希望(智憲も同じ)にて腹腔鏡手術を本人みずから選択。

 おなかの中の状況などにより場合によっては開腹手術に切り替えることもあるとのこと。

 一般的に想定され得る合併症リスクについても以下のお話あり。

 出血が多い場合は日赤の血液を輸血するが、肝炎リスクなどは起こる可能性はあり得るとのこと。

 9%くらい感染リスクありとのことで、もし膿が出る場合は針で膿を出すか手術となる場合もあり得るとのこと。

 腸から便がもれるなどで緊急手術が必要となる場合もあり得たり、腸閉そく・腸の癒着が生じるリスクもあり得たりするが、それらの場合も手術で対応する可能性はあり得るとのこと。

 腸に近い神経を切るため、性機能障害が出たり尿が出にくくなるリスクもあり得るものの、多くはすぐ治る傾向にあるとのこと。

 手術時に血栓が生じるリスクもある(麻酔科医師より全身麻酔時にフットポンプなどを使ってリスク低減策をとるとのこと。

 以上が一般的に想定され得る合併症リスクの説明で妃美ちゃんも智憲も同意。

 手術によって直腸が短くなるため、便を貯蔵できるスペースが少なくなり排便量は少なくてもトイレが近くなりトイレ回数が増える傾向があるとのこと。

 人によって術後はトイレが1日1回とかではなく4~5回の人、中には1日10回くらいとなるケースも見受けられるとのこと。

 CT・MRIでは5mm以上のがんくらいしか把握しきれず画像にひっかからない小さながんがあるケースもあり、手術でがんを取り除くこととステージを知ることができる旨のお話あり。

 術式などは全体的にごくスタンダードなもので行われるとのこと。

 妃美ちゃんよりMSI免疫療法については実施するかどうか〇〇先生に質問があり、まるまる先生よりそれも保険適用になり効くケースもあるのでMSIの同意書も出しておいてもらって対応するとのことで、妃美ちゃん・智憲とも同意書に署名。

 その他、全員対応するもの(ラス?とかいうものらしいですが…)や大学病院であるため個人情報を伏せて形で切除したがんを5mmほど研究用に使わせてもらって良いかとのことで、妃美ちゃんは特に問題なしとのことだったため、妃美ちゃん・智憲ともに同意。

 妃美ちゃんからは○○先生からの一連の図解・解説などIC全般について、非常に丁寧な説明をありがとうございます、との感想あり。

 全同意書などに妃美ちゃん・智憲にてサインし提出完了。ただし、同意書の患者控えは手術関連は妃美ちゃんが預かることとなっているようで、智憲の手元に控えはない状態。

 ○○先生IC後に、同席の精神科・○○先生からは、手術後は数日は絶食となり、精神科の薬も点滴で対応できるものであり点滴にて投与とのこと。

 手術後に一般的にせん妄・ぼやっとした感覚などは起こりやすく、それらは必ず治るものの、生命維持などで需要な点滴を外したり暴れてけがなど妃美ちゃんの安全上必要な状況となる場合には、一時的に鎮静剤・拘束の利用はあり得る。

 ○○先生からは一応、手術前に人工肛門をつける場合に備えてつける位置をマーキングしておくとのこと。

【IC後の持って行った荷物チェックとビデオ通話】

 ICの場では先生方のお話がメインで、会話もほぼできない状況設定のため、妃美ちゃんに持って行ったリクエスト品を看護師さんを介してお渡しして持ち込み可否をチェック頂いた。

 BTSのCDやCDプレーヤーなどはOKなものの、持って行ったオートミールは繊維が多いためか、手術前なので絶対だめとのことで持って帰ることになったり、念のためiPad・iPhoneなど外科入院時に持って行ったものも全部持って行っておいたのですが、まずは安全策とのことでまた持って帰ってきました。

 術後、持ってきてもらって大丈夫なタイミングでまたお知らせします、とのこと。

 ICの会議室で妃美ちゃんとお話ができていたかったこともあり、妃美ちゃんより病室とつないでビデオ通話を行い、入院中に読んでいた婦人画報の懸賞応募はがきを投函しといてとか、明日(今日5/14)ゆうちゃんの授業参観よろしくね~とか、看護教員として入院につきお話していたらしい都立大学の先生に、渡してくれた封筒(妃美ちゃんにて封緘済み)に住所などしらべて書いて出しといてといったやりとりあり。

 手術の日にお母さん(りーちゃん(妻の方のお義母さん))が駆け付けたいとのことだったものの、コロナ対策で1人しか来れないため断ったとのこと(智憲にて対応します)。

【麻酔科医師より手術の全身麻酔など智憲に説明:妃美ちゃんには病室にて説明したとのこと】

 全身麻酔の一般的な冊子を用いたリスク解説あり。

 聞いてみたところ、妃美ちゃんの手術は2022年5月16日(月)AM08:15に1例目にて始める予定(急患などで遅くなる場合もあり得るとのこと)。

 智憲が病院にお伺いする時間については、別途、看護師さんなどから電話連絡があるとのこと。

 手術自体は3~5時間ほどを予定しているとのこと。

【智憲の手元控え預かり分】

・精神科の「病状説明用紙」と麻酔科の「麻酔説明書」

以上が昨日分のご報告です。

【手術の成功・ストーマ(人工肛門)なし】

 この部分は、「おうち入院カルテ」の記録がなく(「おうち入院」前なので…)、シンプルに振り返って記載しておきます。

 手術当日は朝一番の順番でもあり、早々に大学病院にてスタンバイ。

 病棟の看護師さんよりコロナ渦中にて感染症対策としても、個室状態で待っていられる小さめな待合い所(テーブルに椅子4脚)にて、ひたすら成功を祈ってひたすら待ち続け。

 6時間くらいかかるのかなぁ~、かなり長くかかるかもなぁ~、と思っていたものの、術後のご説明をしますとのことで3時間くらいで呼び出しがあり、手術棟にいそいそと移動し、術後面談用のスペースにて、執刀医の先生(消化器の外科の教授先生)から切除した大腸とがんを見せてもらいながら、手術の状況のわかりやすい説明をして頂きました。

 結論としては、腹腔鏡手術が成功し、縫い合わせチェックも問題なく、ストーマ(人工肛門)も不要でスムーズに完了したことを聞き、起立して深々と頭を下げ、少しホッとしました。

 学術研究用に摘出したがん組織を活かして頂き、他にがんで苦しんでいらっしゃる方々のために、良き研究が進めばいいなぁと思ったりしております。

 手術の遅れがあって心配していたものの、ステージは進行せずとどまってくれて、教授の執刀で腹腔鏡手術でキズもあまり目立たずに済んでいます。

 術後、また精神科病棟に戻り、消化器外科の教授が精神科病棟まで診察に来て頂くなど、イレギュラーながらもみなさまの温かいご高配にあずかり感謝感謝の入院生活でした。

 妻本人が精神科病棟は電話やメールやSNSでさわがしくなくてリラックスできる・閉鎖病棟ではすべてサポートしてもらえてお姫様のような状態だったというところから、精神面で回復が進むにつれて、今度は、だんだん病棟内でやれることが少なく退院したい意向が出てきてその旨の相談を私が受けました。

 そこで、退院してムリしないか・本人がちゃんとセーブして生活できるかなど、主治医の先生が心配しないよう、私が妻に「そろそろ退院して、『おうち入院』したいです。自宅で夫の付き添いサポートをしてもらって、自宅療養します」って聞いてみたら、とアドバイス。

 妻が精神科の主治医の先生にその旨お話しして、スムーズに退院へと移行し、その後は「おうち入院」として自宅で私が「院長」として、「お話しカウンセリング」や服薬サポートや育児・家事・仕事(仕事は究極までセーブ)などしながら、アップダウンもありながらもコツコツ過ごすことになりました。

 その際、たまたま家でカルテというか妻の状態をササっとスマホ1つで記載できないかなぁと、「おうち入院」の準備をしていた際に、アプリで「おうちカルテ」を発見し、息子を寝かしつけた後やちょっとした時間をみつけて、妻の「おうち入院カルテ」((C)戸村智憲)を作成したり、面会もままならぬコロナ渦中に妻のご両親にカルテをコピペしてSMSでご報告したりしてきました。

 ページ②以降は、主に「おうち入院カルテ」からのコピペであるがままに掲載していければと思います。

(注)「おうち入院」スマホ手記(「おうち入院カルテ」)をはじめとする当方からのがん啓発・メンタルヘルス啓発などの諸活動は、妻のがんと心の闘病時点でのものです。また、何か特定の医療やサービスを推奨したり保証したりするものなどではなく、みなさまが各自で自己責任にて公式の最新情報などもご勘案頂きながらご対応下さいませ。


(注)クレームに関しましては、下記の指定ウェブフォームのみにて、必ず、(1)対象事案、(2)「クレームの申し立て」、(3)ご返信・ご連絡がとれるメールアドレスと正式なご住所(建物名や部屋番号なども含めて略さずご記載下さい)・お電話番号を明記、(4)クレームの根拠および根拠法令等、の4点は最低限必須事項としてご記載・ご送信下さいませ。弊社の顧問弁護士(事案が簡易裁判所での取り扱い範囲の場合などでは簡裁代理権のある顧問司法書士等の場合もあり得ます)などにも相談の上で対応を検討致します(返信・対応等をお約束するものではございません。また、状況により、心苦しくも裁判所からの特別送達という形での返答・対応となる可能性もあり得ることを予めお知りおき下さい)。それ以外のご来訪・架電ご連絡・FAXご送信・郵送物等のご配送等でのクレームに関しましては、業務上の支障になりかねませんので、お承り致しかねますことを予めご了承下さいませ。 ・弊社指定のクレームに関するウェブフォーム: https://www.jmri.co.jp/contact.html


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