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【第5章】 「毒親災害」を減災する——避難する・相談する・線引きする
◆この章でお届けしたいこと: 相手を変えることだけを目標にせず、自分が受ける被害を減らすこと。「避難・相談・線引き」という毒親災害の対策について。
1 変えられない相手より、減らせる被害を見る
私は、毒親から受ける突発的・継続的な負の影響を、「毒親災害」と呼んでみることがあります。
災害対策やリスク管理なども指導する者として、ふと、毒親による子への負の影響って、災害に例えて考えてみてはどうかと思ったりします。
地震や台風などは、災害そのものを止めることは難しくても、避難や備蓄や耐震化などによって、災害のもたらすダメージ・被害を減らす「減災」は、ある程度自主的にできるわけです。
日本では、地震も台風も他国と比べて非常に多く直面しますが、それでも、日本に住みながら災害とほどほどに付き合っていたりします。
毒親も、完全に「毒親デトックス」というか、無害化することは、そうそう容易にはできません。
ただ、災害に直面する日本での生活と同じように、毒親をから自分が受けるダメージを減らす(減災する)工夫は、ある程度はできる可能性はあります。
心身の虐待や生命の危機など、急を要する場合などは、毒親への対策をとる時間・余裕はないでしょうから、すぐにでも、警察や児童相談所などに相談・通報した方が良いでしょう。
毒親が子にもたらす虐待や負の影響を、「毒親災害」ととらえてみる考え方の利点は、どんなことがありそうでしょうか。
それは、「毒親がこの世からいなくなるまで、私は絶対に幸せになれないかも」という、毒親の生か死か、子の生か死か、といった究極の状況から、一歩、引いて物事を整理しやすくなることかもしれません。
毒親という存在は、同じ家庭や家族にいても、子である自分がコントロールしきれない存在です。
子の人生を毒親に委ねる・支配されるだけの状態に陥るところから、子が自分でコントロールできることに注目して、自分を守るための「備え」と対策を練る主体的な姿勢に転換しましょう。
毒親として子の負の影響を及ぼしていても、毒親が改心してくれるかどうかは、毒親が逮捕されたり裁判にかけられたりしたとしても、あくまでも、毒親が任意に選ぶ選択でしかありません。
子が毒親に、これまでのことを心から謝罪して欲しい、これまでの苦しみに共感を寄せて欲しい、といった希望や期待を抱いても、毒親が素直に応じてくれるとは限りません。
私自身、生みの母から、どうでも良いところで善人に見せかけられるところでは、過剰に良い人のように謝罪を受けることはありました。
私の人生で極めて重要な節目の重要なところほど、毒親が進路をつぶしたり、唾を飛ばして「この偽善者がっ!」と、口汚く罵ってきたり、仕事ができないようにされたりしてきました。
その苦しみを伝えても、この50年以上、生みの母から一度も謝罪はなく、むしろ、「お前が悪い」「そんなに言われるなら今からやり直せ」「なに不自由なく育ててやったのに、そういわれたらどんな気持ちがすると思うのか!」と、虐待や負の影響を及ぼし続けたことを棚に上げて、逆に叱責されたりしています。
ある面で、毒親によっては、精神疾患や精神障がいなどから、毒親自身の言動がいかにとんでもなくえげつないことであっても、毒親自身が自覚・認識できず、「何も悪いことはやっていない」としか認知・認識できていないケースもあるかもしれません。
子としては、自分でコントロールできることと、自分ではコントロールできないとんでもなくえげつないこととを、分けて整理しておく必要があると思います。
子の自衛策として、自分の安全、心身の距離の取り方、家庭外の相談先、経済的な自立への道、重要書類の管理など、自分側で「毒親災害」の被害を軽減する方向に意識を集中しておく方が良いかもしれません。
私自身、育ての父も生みの母にも、相手のからの共感や相手の改心を期待するほどに、自分の生活が相手の反応に左右されて、毒親にとって都合よく扱われることを経験してきました。
そこで、「相手を変える計画」よりも、子である「自分の心身が壊れにくい・被害を受けにくい取り組み」を、なるべく考えるようになりました。
「減災」という言葉には、諦めではなく、現実を見ながら、自分の心身・生命・暮らしなどを守る意思を込めています。
2 第一の対応——避難する
津波が来るとき、津波に勇敢に生身の人間が立ち向かって、一人で堰き止めようとはしません。
生命の危険があるときは、何をおいても、まず「逃げる」こと・「距離を取る」ことが最優先です。
「逃げる」という言葉がネガティブに感じるようでしたら、あなたの人生やあなたの大切な人との人生・生命・心を守るため、「プラスの方向に全力で果敢に逃げる」と思ってみて下さい。
別居、一時避難、会う頻度や会話を減らす、滞在時間を短くする、連絡手段を限定する、通報・逮捕によって別の場所に収容される、支援団体のシェルターにかくまってもらうなど…。
心身の距離の取り方には、物理的な距離だけでなく、心理的な距離、時間的な距離、経済的な距離などがありそうです。
また、毒親と子が必ず同居しなければならないわけではありませんし、そんな義務もありません。
逆に、毒親と子が同居してはいけないという義務もありません。
地震・津波の時は、まず、高台に避難する。
火災が起きそうな時は、下の階や別の場所に避難する。
毒親災害の時は、心身の距離をとる。通報・相談する。
子が置かれたさまざまな状況に応じて、また、相談窓口や支援団体からのアドバイスなどにも沿って、「災害に備える」「逃げて避難する」という観点があって良いと思います。
3 第二の対応——相談する
家庭の中だけで物事を考えていると、親による子への虐待や負の影響ですら、「うちでは普通」という、毒親にとってのみ都合の良い身勝手な基準に、つい、飲み込まれやすくなりそうです。
相談には、第三者の視点で中立(ニュートラル)で公正公平な物事のとらえ方で状況を把握してもらう、危険度を見立てる、自分で見落としている選択肢を示してもらう、助けてくれる制度を知る、気持ちを言葉にしてまとめる、記録に残す、などといった、複数の役割があります。
相談したから、直ちに、毒親を処罰することになるとは限りません。
しかし、心身や生命の危機など、緊急の場合は、まず、あなたとあなたの大切な人の安全を最優先に、保護・救出・虐待や負の影響の回避など、救いの手を差し伸べてくれやすくなります。
まず、家庭外の人の目を入れる、家庭内で外の世界と遮断された世界で問題をエスカレートさせない、といったこと自体が、閉じた家庭に希望の光や風を取り入れる「窓」をつくる一歩です。
また、心の面でも、自分ひとりだけが抱えているのはつらく悲しく苦しいものです。
自分以外の誰か安全に対話できる人が、自分の心の中に閉じ込められた苦しみに、耳を貸してくれて、自分の心の中から外に苦しみを解放してみてはいかがでしょうか。
世界で一番すぐ近くにいる家族が、必ずしも、一番理解してくれる人とは限らず、むしろ、最も近くにいる加害者というケースもあり得ます。
4 第三の対応——線引きする
「すべてはあなたのせいだ」「お前が悪い」「親を幸せにするのは子の義務だ」などと言われても、相手の感情や人生の責任まで引き受ける必要はありません。
往々にして、毒親が子を奴隷扱いしたり、毒親にとって都合の良い世界を家庭の中に作ろうとして、毒親は何をやっても正しいとする一方で、あなたが何をやっても「悪い」とされたり…。
これって、毒親の常とう手段かもしれません。
毒親だけでなく、政治家や経営者なども、身勝手な主張や対応に終始する方々が、少なからず見受けられます。
もし、相談窓口などの第三者の中立な観点でみても、自分の言動に反省点があるのなら、そこは反省すればいいと思います。
ただ、家庭内で歪んだ関係性の中で、お前が悪い・お前のせいだ、というのは、犯罪者が裁判官を兼ねる裁判のようで、あなたを縛りつける呪いの対話になりかねません。
そこには、子が期待するような共感や謝罪はなく、ただ、毒親が延々と手を変え品を変えて、あなたを支配し洗脳するかのような対応が繰り返されかねません。
しかし、そんな毒親は「内弁慶」な「権力に弱い存在」だったりします。
いざ、弁護士や警察官をはじめとする家庭外の相談窓口などの第三者が、あなたの家庭に現れると、コロッと態度や表情や声色まで変えて、毒親自身が良い人を演じ始めたりしがちです。
毒親に虐待されたり負の影響を及ぼし続けられたりする中で、子であるあなたが味方にするべきは、こういった、中立で客観的な正式な資格や立場の第三者です(親戚や近所の人ではうまくいかないかもしれません)。
一度、毒親の豹変を見れば、変に淡い共感や共鳴の期待や、毒親のもっともらしく見せかけてくる主張に応じるような気も失せるかと思われます。
毒親のやっていることで問題が起きたとしても、それは、子であるあなたの責任ではありません。
毒親自らが、自業自得として、責任をとればいいだけで、そこに、子として毒親を可哀そうと思う必要はありません。
なにより、可哀そうだとしたら、毒親ですら可哀そうとかばいたくなるくらい、優しい心をもった子が虐待され、負の影響を及ぼし続けられることこそが、最も可哀そうと言えるでしょう。
毒親は時に生まれついての演技やウソや責任逃れが上手だったりします。
あたかも、息を吸って吐くくらい、ごく自然にできる…。
そして、その演技やウソや責任逃れや、涙ながらの子の良心に訴えかけてくるお話しに、心を惑わせないでいられるとより良いかと思われます。
毒親から、「お前は、なんて無責任なやつだ!」と、あなたの良心を刺激させられるような言葉で揺さぶられるかもしれませんが、大切なことをひとつお伝えします。
それは、「あなたが無責任なのではなく、そもそも、あなたの責任ではない」だけだったりするということです。
毒親が、そういったことがうまく機能しなかった際は、それまでの涙も一瞬で乾燥するかのように、ガラッと表情も態度も声色も変わって、「チッ、うまくいかなかったか」だけかも…。
うちの親がとんでもない毒親だったのか、これまでのお話しは、毒親が被害者ポジションをとって子を心の面で支配するための、子への呪いや呪文のようなものだったのか…。
そのように、えげつなくとんでもない親の実態を知ることは、子としてとても心が痛みますが、まず、その実態を知る・認識することが、子として自分の人生を大切に歩むための第一歩です。
まずは、知る・理解する・認識することから始めましょう。
そして、線引きとして、毒親が人生でどう歩むかやどんなことが生じるかはすべて毒親側の問題で、子の人生は子が歩むもの、親と子の健全な線引きが、あなたの心を窮地から救うかも…。
自分でコンロトールできることと、自分でどうしようもないこと、自分が責任を負うことと、自分に責任転嫁で押し付けられること、そういった、境界線にしっかり線引きしておきましょう。
責任感の強い心のやさしい子ほど、毒親の餌食になるかも…。
5 サステイナブルな対応という考え方
長期化する家庭問題では、短期間だけムリをして耐える対策では、人生の長きにわたって健全な状態は続きません。
私は「サステイナブル」を、
①ムリなく、
②ムダなく、
③長続きする、
④理にかなって、
⑤お互いに幸せになりあう取り組み。
と捉えています。
完璧な解決より、持続可能な安全を優先する。
この視点は、毒親問題にも役立つかと思われます。
「子である私が、全部、我慢すればいい」というわけではなく、その対応が、却って、毒親をエスカレートさせがちな、危険な事後犠牲だったりします。
むしろ、なるべく早い段階で、毒親に厳しく毅然と対応していれば、少しでも毒親が悪質さをエスカレートさせずに、少しでもマシな親としていてもらえるかもしれません。
そういったことは、私自身が自戒を込めてお伝えしています。
世の中のパワハラや性暴力などでも、私が監査や不正調査などの現場で見る限り、最初から最大出力で暴走しているケースよりも、ちょっとやってみて、うまく押し通せたら、次第に出力を上げてエスカレートし、取り返しのつかない事件に至るケースが多いように見受けられます。
毒親をもっとえげつない毒親にエスカレートさせないためにも、子ができれば子が、警察や弁護士や相談窓口の担当者でも、毅然と厳しく毒親に対応することが、毒親への「思いやりのある歯止め」となり得るものと私は思います。
ミニワーク④ 私の減災プラン
・危険や消耗が大きい場面を三つ挙げる。
・その場面で取れる「距離」を、物理・時間・情報・心理の四つに分けて考える。
・緊急時に連絡する人・場所を二つ以上決める。
・自分の体調悪化のサインを三つ書く。
・「これ以上は引き受けない」という境界線を一つ言葉にする。
6 距離は一種類ではない
「距離を取る」と聞くと、絶縁や引っ越しだけを思い浮かべるかもしれません。
しかし距離には、少なくとも物理的、心理的、時間的、経済的、情報的な距離があります。
住む場所は同じでも話す時間を短くする。
会う頻度は変えなくても、進路や収入など揉めやすい情報は共有しない。
生活費や重要書類を自分で管理する。
こうした調整も立派な減災です。
自分に必要なのは、最大限の距離ではなく「自分が壊れずにいられる距離」です。その距離は、親の状態、自分の体調、年齢、経済状況、介護の有無などによって変わって当然です。昨日の最適解を、今日も守り続ける義務はありません。
◆ 距離は0か100かではなく、もう少し細かに調整できるダイヤルみたいな感じです。
◆ 今日の一歩:「避難できる場所」「相談できる相手」「ここから先は引き受けないという境界線」を、それぞれいくつか書き出してください。



