『がんと心のリゾート: がん患者のメンタルケアと闘病を支援する家族の視点』
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第8章 「おうち入院」から社会へ
1 少しずつ広がる生活圏
おうち入院カルテをもとに――趣味が戻る、予定を自分で減らせる
フィットネスクラブ、短い外出、友人とのランチ、趣味でのナンタケット・バスケット作りなど…。妻にできることが少しずつ増えました。それ以上に大きかったのは、妻が疲れている時に、自分から予定を変更したり、キャンセルして、予定を「引き算」で心を最優先にして、セーブしたり休めたりできるようになったことでした。
以前なら「予約したから行かなければ」と自分を追い立てていた妻が、「今日は休む」を選べるようになったりしました。
それは、怠けなどではなく、心の回復で大切なステップアップだと見ています。
やがて、心の回復が進むと、妻は一人で外出できる時間が増えていきました。
フィットネスクラブへ行けた。
電車に乗ってひとりで大学病院へ受診に行けた。
自然と興味がわいた習い事に行けた。
何気なく友人と短時間ランチできた。
いいなぁと思ったナンタケット・バスケットを習えた。
ひとつひとつは、ちょっとした、小さなことにも見えます。
しかし、妻の世界が、少しずつでも着実に、「おうち」の中から、外の世界へと、ムリなく自然に、少しずつ外へ広がっていきました。
退院してまもなくは、友人に会うのも、会って話したりがんについて聞かれそうかもと思うだけで、グッタリしていたのに、自然と会話できるようになったりしました。
退院後からしばらくは、電車移動なども心への刺激が多めなので、私が車で送迎し、受診にも同席する日々でした。
それが、「今日は一人で受診に行けるよ~!」と、心の回復につれて、「心のクッション」の厚みも積み重ねられて、心の刺激になることにも対応できるようになりました。
家族を支える際に、
「自分のサポートが必要なくなる」
ことは、喜ぶべき進展だろうと思います。
逆に、自分のサポートが必要なくなって焦るとか、まだまだ自分がサポートをしなくては、という感じとか、家族を自分のサポート漬けにするなどは、
「共依存」
かもしれません。
「おうち入院」で、「共依存」を避けることも、とても慎重に気を付けていた点です。
相手を縛る・相手に縛られる関係性や、相手の自立心を損なうほどの過剰なサポート(もはやサポートというより害かと思われますが…)は、健全な関係性ではないでしょう。
そのため、「おうち入院」では、ムリなくできる・やれるというところは、見守りながらも妻にお任せしています。
また、ムリなく見守りながら、必要ならすぐに駆け付けられるようにしながらも、役割分担という形で、自立的に家族の役に立つ感覚も、しっかり持っていてもらっています。
「育む」といことは、「支配」することではありません。
「育む」ゴールは、手を離れても自立できること。
私自身は、仕事柄、経営指導(アドバイザーや顧問など)もしています。
お仕事面では、最終的に、顧問やアドバイザーなどの外部の専門家がいなくなっても、その組織がちゃんと良き方向に自律的に進めるように支援しています。
究極のところ、
「戸村という顧問やアドバイザーが、いらなくなるよう指導する」
ことが、人や職場や組織を「育む」ことだと思っていますし、お仕事でもそう申し上げています。
家庭でしたら、親が子を「育む」とか、心のサポートが必要な家族の「心の回復」を「育む」とか、サポートする側の人が必要なくなるのが、ある意味で、最善策だろうと思います。
相手の人権の尊重、個性や多様性の尊重、公正公平な受け入れあい、「おうち入院」や「育児」など…。
巣立つ力を育む。
やってあげる、というより、信じて見守りつつ任せてみる。
相手の可能性や回復力を信じて見守る。
手が離れるのを歓迎できる「勇気」も必要かもしれません。
助けるがいつしか、相手の自律的な回復力や自主性を損なう状態で、助ける素敵な自分に酔う・助けられることから逃れられない、という状況は、避けておくべきかと思われます。
何か当事者経験でもないと、急には、バランス感覚が難しいかもしれません。
だからといって、腫れ物に触るような接し方をされてもつらいですし、突き放されてもつらいです。
完全に理解できないとしても、わかった気になるでもなく、家族会や支援団体での対話などでも、相手のことを、
「少しずつでも、理解しようと努める」
ことが、少しずつの歩みよりや寄り添いになるかと思われます。
「わからん!必要なことは言え!」
「私の寄り添い方が気に入らないのだな!」
「そんなこと、いちいち気にせず、やればいいんだ!」
といった感じだと、サポート側が寄り添っているつもりでも、近づいてきて突き飛ばしているようなものかもしれません。
2 誰かの役に立ちたい気持ちと、心の隙
おうち入院カルテをもとに――国際ロマンス詐欺を「一緒に解決する」
2023年秋、妻はSNS上で「アメリカ出身でシリアにいる医師」を名乗る人物とのやり取りに巻き込まれました。離婚して一緒になろうとか送金を迫られたり、家族への害をほのめかされたりして、罪悪感まで植えつけられていたようでした。海外の銀行が閉鎖されてお金に困っている、とのこと。なのに、なぜか、見ず知らずのシリアにいる医師の送金指定先が、ザ・日本の銀行な感じの口座だとは…!銀行は閉鎖されていたら振り込んでも受け取れないよね。妻は特殊詐欺犯に精神的に揺さぶりまくられ、急性精神病性障がいの再燃・再入院となるかどうかの瀬戸際で、妻を緊急で車に乗せて、大学病院の主治医の受診へと向かいました。鎮静剤を緊急に注射してもらい、少し休息をとって少し冷静さを取り戻した妻が、正直に相談してくれました。「絶対詐欺だろ、これ」…振込み寸前で食い止めることができました。
妻には、警察の相談電話「#9110」に自ら電話してもらい、警察にも情報提供しておきました。私は、詐欺師について根掘り葉掘り問い詰めたり、妻を責めたりしないようにしました。送金前に止められたこと、相談してくれたこと、そして何より妻が保護されるべき「被害者」であることを、ゆっくり丁寧に伝えて、心のケアを最優先にしておりました。
その後、妻は自分の経験をSNSで共有し、「誰かが同じ目に遭った時に役立つなら」と考えるようになりました。
傷ついた経験が、「誰かを守る知恵」に変わり始めた瞬間でもありました。
妻は、もともと、人の役に立つことが好きな人です。
看護師であり、看護教員として看護師さんを育ててきた人でもあります。
回復してくると、「誰かのために何かしたい」という気持ちも戻ってきました。
ただ、心がまだ不安定な、隙のある時期に、その優しさが危うい形で利用されそうになったこともあります。
2023年秋、妻は国際ロマンス詐欺に巻き込まれました。
特殊詐欺犯が言葉巧みに妻を精神的に揺さぶりまくり、妻は、急性精神病性障がいの再燃・再入院(閉鎖病棟かも)の瀬戸際に立たされました。
「ともちゃんに、言えない秘密がある」
ムリには聞き出すわけてはないのですが、取り乱し始めて心が危険な状態とわかり、緊急に主治医のもとへ…。
主治医より、鎮静剤の注射をしてもらい、少し休んで落ち着いたところで、妻に声をかけてお話ししました。
要するに、SNSを介して、妻が国際ロマンス詐欺に巻き込まれていました。
アメリカ人医師がシリアで医療の貢献をしている。
銀行が閉鎖されて帰国するお金がなくて困っている
といったところから、言葉巧みに進展し、
ダンナと別れて結婚しよう
というところまで来たようですが、幸いにも、妻に捨てられずに済みました。
離婚するのを拒否した妻に、特殊詐欺犯が、今度は、厳しい言葉で責め立ててきて、
人助けしないなんて、あなたはひどい人だ
などと、硬軟とりあわせて、精神的に負荷をかけまくってきたようです。
妻が、そんな、特殊詐欺犯の猛攻に心を乱したものの、ありがたいことに、妻が私を信頼して話してくれて助かりました。
アメリカ人医師でシリアにいるはずの人が、なぜか、ザ・日本の銀行、という感じの送金指定先の口座情報を伝えてきて、我を取り戻した妻も、「これ、詐欺だよね」と納得。
送金寸前で食い止め、警察にも相談・情報提供しました。
妻は、詐欺にかかったとか、ダンナに内緒でシリアにいるアメリカ人医師と一緒になるかどうかのやりとりをしていたことなど、ダンナへの裏切りを自分で強く責めていました。
妻は、特殊詐欺の被害者で保護やケアされるべき存在です。
悪いのは、妻ではなく、人の心の隙につけ込む詐欺師です。
私は、被害者である妻の心のケアも含めて、
「妃美ちゃんは被害者で、悪くないんだよ」
と、慎重に言葉を選びソフトに伝えました。
後には、妻自身がこの経験をSNSで公表し、「同じような人の役に立つなら」と、警察相談の情報も紹介しようと考えるまでになりました。
つらい経験を、「心の傷」で終わらせず、「誰かを守る情報」に変えて行けたのも、心の回復が進んだ証かも…。
その姿に、次第に妻らしさが戻ってきたと感じでした。
おうち入院カルテをもとに 退院後から1年数か月して…
国際ロマンス詐欺の一件で自分を責め続けていた妻が、少し心の余力を取り戻したころ、「この話をインスタグラムに載せてもいいかなぁ?」と自分から言い出しました。私は、笑い話に変えたり、同じ被害を防ぐため警察相談専用電話「#9110」のことも書いたりしたら、被害にあいかけている誰かの役に立つかもしれない、と話しました。
「国際ロマンス詐欺のお話しを、インスタグラムで載せてみてもいいかなぁ?」
翌日、妻はその出来事を笑い話にできるほど持ち直しました。失敗や被害を隠し続けるのではなく、また、変に歪んだ復讐心を芽生えさえるのでもなく、「誰かの役に立つ経験」に変えようとしたこと自体が、自己肯定感や心の回復を取り戻していく第一歩だったのかもしれません。
夫メモ: 詐欺に遭いかけた妻を責めるのは避けるべきで、「被害で心を痛めている人」として保護・ケアすることが最優先です。夫婦の愛情って、自分にとって都合が良いかどうかより、相手を尊重し、相手にとってより良い道を一緒に考えることだと、私なりに思ったりしています。
3 職場復帰の希望と、PTAでの大きな揺り戻し
おうち入院カルテをもとに――「笑顔で引き受けた」末に…
2024年、学校のPTA活動を引き受けたことをきっかけに、妻の心は大きく崩れました。連絡が始まると、「締切までに」「これをしなければ」という義務が一気に押し寄せ、比較的保てていた状態から、急転直下、再入院を考えざるを得ないところまで悪化してきました。
私は仕事を全面的にストップして、数時間かけて妻と話し、学校側にも状況を説明して役割を辞退・交代して頂くことになりました。外から見れば「笑顔で引き受けた」ように見えても、その人が断りにくい状態ではないか、引き受けた後の負荷に耐えられるかは別の問題なのではないかと思います。
夫メモ: この時、私は妻に向かう負荷をなるべく自分のところで受ける「心の防波堤」になろうとしました。支援とは、本人の代わりに何でも決めることではありません。本人が自分を守る力を失いかけた時に、「いまは休ませてください」と社会に伝えることも、伴走の一つだと思います。
私は妻に向けられるプレッシャーなどを、なるべく自分のところで受け止める「心の防波堤」になろうとしてみました。
本人が横たわって動けない時まで、「やらなくちゃ」「自分が悪い」と自分を責める姿を見て、支援って、時に、本人に代わって「今は無理です」「申し訳ございません」と、社会へ伝えることでもあるかもと思ったりします。
妻には、看護教員として、元の大学へ戻りたいという気持ちがありました。
ありがたいことに、何度か復帰の打診を頂きましたが、私は妻の状態を見ながら、時期を遅らせる提案をしたこともありました。
でも、本人は働きたい。
そうはいっても、調子が良い日の姿だけを見て復帰すると、調子が落ちた日に無理をしてしまう。
この判断には何度も迷いました。
2024年には、業務量を大幅に調整したうえでの職場復帰が見えてきた時期がありました。
ところが、同じころ、小学校のPTA活動で、「顔合わせだけみたいだから、私が行ってくるね」と、会合の次第には伏せられていた役員決めがある場に妻が行きました。
顔合わせだけで負荷のかからないことなら、とのことでしたが、予想外に周りからPTA役員を勧められる流れとなり、締め切りや義務の連続が、妻の大きな心理的負荷になりました。
妻は「やらなくちゃ」「自分が悪い」と自分を追い込んでしまい、またもや、急転直下で、一気に心の調子を崩しました。
私は仕事を全面的にストップして、妻と数時間お話しカウンセリングにあたりました。
次いで、私の方から学校側へ事情を説明し、PTA役員を辞退し、役員を交代して頂くことになりました。
そのあおりを受けて、あと日程調整くらいで、決まりかけていた職場復帰も見送らざるを得なくなりました。
寄せては返す波のようなのは、心のアップダウンだけではなく、強烈な出来事も寄せては返す波のように、繰り返しやってくるように感じました。
一度できるようになったから、もう何でもできる、は、周りから見るとそう見えても、必ずしも、心の状態とイコールではありません。
回復期には、本人の善意や責任感や、周りの良かれと思っての「悪意なき害」が、本人を追い詰めることがあります。
どうしようにもできない時は…
「連絡を入れて、断ってもいい」
「代わってもらって、途中でやめてもいい」
「苦しい時は、相談して、約束を変更してもらっていい」
そんな社会の余白が多少なりともあったなら、病気や障がいのある人だけでなく、誰にとっても暮らしやすくなるのではないかと思ったりもします。
4 「自分を大切にする」旅へ
おうち入院カルテをもとに――「過去を清算したい」
妻は、誰かに嫌なことをされたことは許せても、自分が誰かに嫌なことをしてしまったと感じると、自分自身を許しにくいところがありました。予定が空けば何かを詰め、「暇でいる」ことに落ち着かなさを感じる時期も長かったです。
療養を通じて妻が探していたのは、単に症状を消す方法だけではなく、「自分を大切にする」生き方そのものだったのかもしれません。
「いろんな自分」をギュッとハグしてあげること、今の自分の疲れや負荷をちゃんと認めること、回復のために休むこと、好きなものを選ぶこと。
心の回復は、自分が自分との関係を結び直す旅でもあったのかもしれません。
大きく調子を崩したころ、妻との長い対話の中で、子どものころから「何かをしていなければ自分の居場所がない」と感じるような体験があったようなお話しをしてくれました。
学校生活で傷ついた記憶、予定を隙間なく埋めるような生き方を迫られたことなど、妻自身が少しずつ話してくれました。
妻が療養を通して、「自分を大切にするとはどういうことか」を、初めて学び直しているのかもしれないと思いました。
誰かにされたことは許せても、自分が誰かに嫌な思いをさせたかもしれないことは許せない…。
そんな自罰的な傾向もありました。
そんなこともあり、休むことにも罪悪感がある…。
何もしない自分を、そのまま家に置いておけない…。
私が、「あるがまま居場所ぐすり」を大切にしようとしていることは、単に、妻をベッドで休ませることではありませんでした。
何もしていない自分でも、ここにいていい。
失敗してうまくいかない日があっても、愛される価値は減らない。
その感覚を、日常の中で、毎日繰り返し、確認したり実感したりしていくことも、妻の心の回復に必要なことだったように感じます。
5 3年後の宮崎県への帰省
おうち入院カルテをもとに――故郷で、がんの話をしても大丈夫になった
退院から丸三年がたった2025年には、妻は家族とともに念願の宮崎の実家へ帰ることができました。実家の近所の方や友人に会い、がんや心の不調の話題が出ても、それだけで大きく心を崩すことなく過ごせるところまで来ていました。
「帰省できた」という事実以上に、病気のことを自分の人生の一部として話せるようになったことが大きかったように思います。
妻が隠したいと思う過去から、語ってもいい経験へ…。
がんや心の不調などをなかったことにするのではなく、がんや病気があった自分も含めて、自分のあるがままに生きられるようになることなのかもしれません。
その後、妻は社会復帰への希望を持ちつつも、なかなか、妻の心の状態や妻のテンポに合わない面もありました。
世の中に、妻に合った職場や活動形態がなければ、作っていけばいいのでは?
そんな思いで、2025年7月から、私の会社の非常勤理事として、がん体験や心身の健康、家族・社会に関わる活動を、ムリのない形で夫婦一緒に進めることにしました。
非常勤役員であれば、出退勤は柔軟ですし、私がカバーできるところはカバーしながら、療養と仕事の両立を実現できそうだなぁと思いついた次第です。
さらに、2025年9月、大学病院にて、心の面では一つの区切りとなる、急性精神病性障がいの「寛解」との主治医の判断を頂けました。
心の面ではこれだけではないものの、精神科の閉鎖病棟に一時的ながらもお世話にならざるを得なかった、急性精神病性障がいでの「寛解」は、心の回復の確かな自信になったようです。
これまで、地元に帰省したら、昔からの友人などと、がんの話などになったらつらい、といった感じで、心配してくれていたご両親のもとに、なかなか帰省できずにいました。
私としては、コロナ渦中で会いにこれないもどかしさや、がんに加えて心の不調でも大変な娘を思うご両親の気持ちを思うと、とても心を痛めていました。
これ以前も、私がすべて同行して付き添うから、もし良かったら、一度、宮崎のご両親のもとに帰省してあげたらどうかな、というお話しは、折に触れて、軽く打診していました。
紆余曲折がありながらも、妻が、妻の希望と意志のもと、宮崎の実家へ帰省できるところまで回復しました。
がん発見から長期間にわたり、元気な人を見ることや、がんの話をすること自体がつらく、人と会うことを避ける時期が続きました。
それが術後より3年ほどがたち、故郷で家族や近所の方、友人と会い、がんや心の不調の話が出ても、心身の調子を大きく崩れずに過ごせるようになりました。
3年間、何度も
「もう、これで大丈夫かも…」
と思うシーンがありつつも、
「うまく行かず大波に飲まれてしまった…」
と、アップダウンを繰り返しておりました。
「寛解」という言葉は、「これでもう絶対に大丈夫」ということを意味するわけではありません。
再燃・再発の可能性はあるものの、これまでのところで見ると、安定的に過ごせている、といったくらいの意味合いで、
「アップしても油断せず、ダウンしても悲観せず」
を、引き続き、この先も念頭に置いて過ごす感じです。
でも、確かに、「寛解」に至れるほど、これまでの日々に、いろんなことを積み重ねてこれたわけで、心のクッションも分厚く備えられたようで、家族の大きな希望と自信になります。
後日記 2025年5月~9月
術後・退院から約3年。2025年5月、妻は念願だった宮崎の実家へ、家族と一緒に帰省できるところまで回復しました。実家の近所の方や友人と会い、がんや心の不調の話題が出ても、大きく崩れずに過ごせるようになりました。
同年7月からは、日本マネジメント総合研究所合同会社の非常勤理事として、無理のない働き方を模索しながら、がん体験や心身の健康について夫婦で発信する活動も始めました。そして9月12日の大学病院受診で、心の面では主治医から「寛解」という一つの区切りを得ました。
夫メモ: 「元通り」ではなく、病気を経験した自分も含めて、自分のペースで新しい日常をつくっていく感じ。回復って、そのようなものなのかも…。




