『がんと心のリゾート: がん患者のメンタルケアと闘病を支援する家族の視点』
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第9章 がん患者を支える家族として伝えたいこと
がんとメンタル不調での闘病「おうち入院」の実体験を通じて、支える家族として大切だったことをまとめておこうと思います。
あくまでも、私の体験を通じたお話しです。
病状や家庭環境などは、人それぞれですし、必要な医療や支援なども異なり得ます。
医師の治療アプローチや治療のねらいも様々あるかもしれませんので、医療機関でご相談の上で、本書はあくまでも体験談のひとつとして受け取って頂ければ幸いです。
1 正しさより先に、心の安心を
家族支援で最初に守りたいもの
相手が不安でいっぱいの時に、事実や正論だけで無機質に伝えても、どれだけ正しく論理的な説明しても、相手に届かないことがあります。
まず、「ここは安全だ」「あなたの味方だ」と感じられることが大切です。
支援する側の家族が、医師などではない場合、サポートを必要とする家族にアプローチできるのは、声掛けや対話などによる「ことば」や、実際に行動で示すことくらいです。
信頼・安心感という土台ができて初めて、支援する家族のアドバイスやフィードバックが、支援を必要とする家族の耳に入るようになる感じです。
本書で示した「信頼ぐすり」は、治療に伴走する家族として、「おうち入院」において、とても大切な土台となります。
精神科病棟の医師も、初対面の患者さんに、ソフトな口調でのあいさつや声掛けなどから、信頼関係が築けるよう努めているように見受けられます。
心が大きく揺れているとき、事実と違うことを言われると、つい「それは違う」と訂正したくなるかもしれません。
肯定でも否定でもなく、相手が話すことに、
「あなたはそう感じているのね~」
という、頭ごなしの否定や拒絶ではなく、あるがままに話して大丈夫そうだなぁ、というところから始めるといいかも…。
もちろん、対話をしたり様子を見守ったりする中で、安全・生命に関わることや、医療上で必要なことなどは、スムーズに専門家につなぐ必要があります。
一方で、家族の対話では、正しさを証明することより、
「怖かったね」
「不安なんだね」
「苦しいんだね」
といった、正誤や優劣や妥当性などではなく、感情に共感し寄り添って、お互いに安心できる土台をつくる方が、まず先に必要な場面があったりしました。
2 励ましすぎない
「頑張って!」
「元気を出して!」
「昔のことを引きずってないで忘れておきなさい!」
良かれと思っての励ましの言葉でも、本人がすでに頑張り過ぎて苦しい場合は、追い打ちのようになりかねません。
相手と交わす「ことば」が、「ことばぐすり」として、心に浸透するには、「ことば」を慎重に選んだり、共感や信頼を誠実に伝えられる「ことば」で対話したりする必要があります。
「今日は、しんどいね」
「ちょっと、休もうか」
「明日にしとこうか」
そういったことだけでも良いケースもあります。
よくありがちな声掛けとして、
「大丈夫?」
というパターンも見受けられますが、迷惑をかけないよう、心配をかけないよう、ついつい、心をカモフラージュしてしまう場合、
「あ、大丈夫。」
みたいな感じで反射的に返答しがちだったりもします。
私の場合は、家族に心配をかけないよう、心をカモフラ―ジュして、ちょっと疲れてるのかな?ぐらいに思われる範囲に、目に見える行動で、相手が想像する心の状態をカモフラージュしておき、その実、心の調子はかなりグッタリというか苦しい時もあったりします。
「大丈夫?」という、ある意味で大雑把な言葉ではなく、
「疲れてない?」
「しっかり眠れた?」
「食欲はある?」
などといった、少しだけ、具体的な声掛けにしてみてもいいのかもしれないと思います。
3 本人の役割を全部奪わない
病気だから何もさせない。
ただ、寝かせておけばいい。
そういったことが、もしかすると、優しさのように見えることがあるのかもしれません。
でも、腫物を触るような対応は、
・共感を得られていない
・家族からの疎外感がある
・理解しようとしてくれていないのではとの思い
などが生じやすいかもしれません。
逆に、腫物を触るような対応でもなく、休むべき時にムリにやらせるのでもなく、
「自分がここで役に立っている実感」
を通じて、
「自分がここにいることに、引け目を感じなくていい」
といった要素もあると、「おうち入院」で過ごしやすいように思います。
また、家族の交流や社会性のもとでの療養として、
朝食を準備してくれたら「ありがとう」。
息子をお風呂に入れてくれたら「助かったよ」。
ハグしてくれたら「嬉しいよ」
など、ほとんど寝て休んでばっかりだから、ちょっとくらいやって当然だろ、ではなく、やってくれたこと・取り組めたことに対して、感謝の「ことば」をちゃんとかけましょう。
できることをお願いし、できない日は代わる。
本人の希望や意志を尊重して、ムリにはやらせない。
大きな役割でなくとも、ちょっとしたことでもいい。
そんな感じがします。
4 予定より心の調子を優先する
予定を詰め込んだり、心を押して予定をこなしたりする「足し算」から、心に合わせて予定を変更する「引き算」へ。
「おうち入院」を通じて、妻に、よくお願いしたことです。
「~しなければならない」
「~すべきだ」
といったことは、心の負荷が高まりやすい面があり、療養は仕事とは違って、予定や期日ではなく心を最優先にしていいものですので、
予約していてもキャンセルする。
旅行に出ても無理なら戻る。
予定を変更することをためらわないようにしてみる。
もちろん、サポートする家族として、各所にご連絡やお詫びが必要になるケースもあります。
それでも、何か自分の心の内側からやってみたいことが湧き出て取り組もうとしたことは、回復へ向けての前進なのだと思ったりします。
また、あるがままの心で生きるための、ひとつの練習として、「ちゃんと心の状態に合わせて予定を変更する」ということに、あえて取り組んでみるのも良いかもしれません。
5 「ガードレール」になる
「監視」ではなく「ガードレール」
精神科の閉鎖病棟では、安全管理のためか、病室内に監視カメラがついていたようです。
しかし、「おうち入院」で家庭においては、監視カメラで看守のように監視するわけではありませんし、そうすべきだとも思いません。
セキュリティ対策面では、ネットワークカメラの場合、室内を撮影するカメラが、ハッキング等でのっとられ、世界中に自宅の室内映像がさらされるのは、防犯上の良くないでしょう。
「おうち入院」では、妻の行動を細かく制限したり監視したりすることは避けています。
なにより、ずっと、監視していたら、私の睡眠時間や休息時間がなくなって、私の心身が持ちません。
私の心も自分で守るために、隙あらば「盗眠」したい私としては、そもそも、そうするつもりもそうする余裕もありません。
もちろん、普段から、妻の表情や声のトーンや、ちょっとしたしぐさなど、「あ、髪切った?」くらいに変化に気づけるよう、見守り・気にかけ・声もかける、という感じです。
本人の意思を尊重しながら、明らかに危険な方向へ大きく逸れそうな時などは、必要最小限の介入をする。
私の造語で、ダイバーシティ関連の指導の際に話していることですが、向かうべき方向性を示し、懐深くいろんな歩み方を受け入れながら、危険な方に逸脱するときはストップをかける。
そんな、「ベクトル・ガードレール・アプローチ」と私が呼んでいる取り組みも、「おうち入院」の日々でよく意識していました。
ベクトル: こっちの方向に行くといいよ~、と示す。
ガードレール: ここから先はガケだからストップだよ~。
左右のガードレールの間で、柔軟な歩み方でいい。
もうちょっと、言い方を変えたとしたら、
自動車教習所の教習車の助手席に乗る感じかもしれません。
進み方は本人に任せる。
速度も本人が決める。
家族はハンドルを奪わない。
ただし、明らかに危険なときは、助手席のブレーキを踏む。
イメージ的には、そんな感じのようにも思います。
妻が、国際ロマンス詐欺と特殊詐欺犯からのプレッシャーで、精神科病棟への再入院が心配されるほど、心の状態がかなり乱れた時などは、「見守るだけ」では済みませんでした。
だからといって、医師ではない場合、家族が勝手に診断や確定的な判断をして、医療につなげないといったことは避けるべきでしょう。
妻の場合は、国際ロマンス詐欺の被害にあった際は、車に乗ってもらって大学病院の主治医につなぎ、その後、家族だからこそのサポートを意識して、妻が回復していきました。
支援では、「あえて何もしない」ことが尊重になる場合もあれば、何もしないことが危険になる場合もあります。
状況判断も大事ですし、何より、サポートする家族の側の心が、なるべく偏りなくクリーンでないと、状況判断の出発点から避けるべき方向に進みかねません。
なるべく偏見・固定観念・思い込みや、我田引水というか自分の都合に相手を合わせるようなことがないようにしておければ、より良いことだろうと思います。
その状況判断や「これでいいだろうか?」と迷うことが多くなりそうです。
家族内の常識だけで考えず、孤立を避け、主治医や専門家や支援団体などで、聞いてみたり学んだり他のご家族と交流してみるのも、視野を広げ、心を癒す上でも良いかと思われます。
6 本人の人権・意思・希望を真ん中に置く
夫婦でも、親子でも、親戚でも、あるいは、あかの他人でも、お相手は、あなたの「所有物」ではありません。
同じ人権がある者同士、いろんな感情や価値観や個性のある人間同士です。
上下や優劣ではなく対等です。
病気になったからといって、本人の意思を全部取り上げて良いわけではありません。
私は自分にとって都合が良いかどうかではなく、妻にとってより良いかどうかを考えるようにしています。
本人がやりたい/やりたくないこと。
本人が話したい/話したくないこと。
本人がこう接してほしい/接してほしくないこと。
それらを尊重しながら、安全に関わるところだけ支える感じです。
振り返れば、妻の産後3年間くらいは、妻がストレスを減らして健康に過ごすため(?)に、妻のサンドバッグ状態になるようにしてみたこともありました。
変に夫婦間で感情をエスカレートさせないでおいて、自分でも産後でイライラしやすい時期だし、まぁ。妻がスッキリしてもらえたらいいか、うん「サンドバッグ」だね、みたいな…。
妻に伝えるべきことがあれば、妻の心情を慮って、ちょっとオブラートに包んでソフトに伝える(アサーティブ・コミュニケーション)で、しっかりと伝えればいく感じです。
7 サステイナブルに、レジリエントに
戸村流・家族の危機管理
仕事で危機管理なども指導している私としては、家庭でも「リスク・ゼロ」を目指しませんでした。
よくある誤解で、リスクはゼロにしなければ、というのは、究極のところ、どんなリスクも厳密にはゼロにできないか、ゼロにするためにすべてを捨てるかしかなかったりします。
会社で業務上のリスクをゼロにしなければ、という、よくある反応では、本当に厳密に業務上のリスクをゼロにするには、会社を解散して業務がなくなること以外になさそうです。
リスクは、前に進むために、余計なつまずきをなるべく少なくしていったり、致命傷を負って、前に進めなくなったりするのを避けるためのものです。
「おうち入院」でも大切な3つのポイントとしては、
①ダメージを少しでも小さくする
②悪化してもできるだけ早く立て直す
③次にまた同じことが起きる時に備えて、備えを積み増す
これらの3つのポイントを、「おうち入院」では意識しておくようにしました(レジリエンス3つの要素でもあります)。
こういったことは、災害対策やBCPなどにも通じることですが、家庭では、もっとやんわりとふんわりとしていて良いようにも思います。
家族は会社のプロジェクトではないですし、家族同士で気分のアップダウンもありますし、管理するというより、しなやかに臨機応変に支えあう家族のレジリエンスという感じかと…。
私は仕事柄、「サステイナブル」「レジリエンス」という言葉を、戸村流のかみ砕き方でよくお話しします。
「おうち入院」でも、これらの考え方を意識するようにしました。
私なりのサステイナブルは、環境保護だけでなく、生き方働き方や商習慣や社会の慣習なども含めたお話しとして、
① ムリなく
② ムダなく
③ 長続きする
④ 理にかなって
⑤ お互いに幸せになりあう取り組み
ということです。(振り返りまでに…)
支える側が全部を犠牲にして消耗しつくされると、なかなか長続きしません。
本人だけが我慢し続けても、やはり、長続きしません。
家族全体として、「スムーズに続けられる状態」に整えることが必要です。
レジリエンスについては、
① ダメージをできるだけ小さくする
② できるだけ早く立て直す
③ 次に同じことが起きたときに備えて、備えを積み増す
という三つを意識してきました。(振り返りまでに…)
心の不調をゼロにすることだけを目標にすると、少しの落ち込みでも失敗に見えます。
「落ち込んでもOK。前よりダメージが浅く、早く立ち直り、次に活かせればOK」と見れば、確かな回復の歩みです。
8 家族だけで治そうとしなくていい
最後に、これは強調しておきたいことです。
「家族の愛情」「献身的な看病」「無償の愛情」だけで、サポートし続けなければと思い込まなくても良いと思います。
「家族の愛情」と言って変に言動を縛ったり負荷がかかったりし続けては、とても長く持たなさそうです。
重い愛情より、心も軽くなるサステイナブルな愛情の方が良さそうです。
「献身的な看病」というと、「こんなに献身的に尽くしてるワタシ、すごい」みたいな、共依存の入り口に立つような、あまり良い状態ではない可能性もあり得ます。
献身的な看病をする際は、ご自身の心身にも献身的にセルフ・ケアをしておく方が良さそうです。
「無償の愛情」の何がいけないのか!と、お叱りを受けるかもしれませんが、ちょっと言葉の使い方の違いであって、要するに、有料の支援サービスも活用していくのもアリなのです。
家族だけがサポートしなければならないわけではなく、必要に応じて、また、余裕に応じて、医療スタッフや支援団体や家事代行など、有償サービスを活用してムリのないように…。
助けを求めることは、家族としての敗北ではありません。
医療従事者や支援団体などにつなぐことも、大切な人を守る愛情ある行動です。
医師の診療、看護師さんのケア、お薬、検査、各専門家の判断や支援、場合により、有料サービス事業者のサポートやケアなど、それらと共に、家庭での支えがあります。
家族は医療の代わりではなく、日常生活をベースに、医療と日常生活の間もつなぐ伴走者なのだと思います。




